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きまぐれ 鉄道日和

お越しいただきありがとうございます。ゆるい鉄道ファン,チョイ鉄向けブログです。ゆるさを追求しておりますwまったりとお楽しみください

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今日は流鉄日和

去年の春、桜をからめて流鉄が撮れないかと、幸谷~流山間を歩きながら、結局、適当な場所がみつからなくて残念な思いをしたものだったが、松戸に転居した今年、新聞折り込みの地域情報冊子で、馬橋~幸谷間で、桜と流鉄を合わせて撮れそうなところが紹介されていたので出掛けてみた。

流鉄1 (2)

流鉄1

馬橋~新松戸間を流れる新坂川という川沿いの緑道が桜並木になっており、部分的に流鉄がその緑道沿いを走っている。

中井精也先生の「一日一鉄」(4月3日付)を見たら、先生も桜と流鉄を撮っており、同じ日に、私も同じ場所にいたことになる。
前の鎌倉の六地蔵と江ノ電もそうだが、段々、先生と行動パターンが似てきたのかもしれない(まさか)。

ところで、先日、パート仕事で、机の上に乗ってブラインドを拭いていたとき、足を踏み外して机から転落する事故を起こした。幸いどこも怪我をしなかったのだが、コツンと音がして頭を打ったので、念のため脳神経クリニックで、脳のCTとレントゲンを撮ってもらった。結果は、どこも出血しておらず、骨にひびも入っておらず、特別異常はみられなかった。
転落の状況を説明したところ、それでこれだけダメージがないというのは奇跡に近い、と医者に言われた。
ここでも守られているという思いを強くした。
その当日はどこも痛くなかったのだが、翌日になって、体のあちこちが痛くなった。見たところ、肘とか大腿部にアザができていた。これも、筋肉痛が起こるのにタイムラグがあるのと同じようなものなのかもしれない(タラ坊)。
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新元号が令和に決まったので、号外を貰いに行ってきた

ああ、夕張線(石勝線夕張支線)がなくなっちまったよぉ つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
ここにはぜひ葬式鉄に行きたかったのだが、おかげさまで忙しく、北海道へ行くどころかほとんど都区内から出られない('A`) ここでまた鉄道系ムックの仕事を承ったので、忙しかろうと無理にでも旅に出て、いろいろ吸収してこないとなあと思う今日この頃である。

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うちにはテレビがないので、ネット中継で新元号の発表を待った。
菅官房長官は10分ほど遅れて現れ、まさに「平成」を公表する当時の小渕官房長官と同じようにして「令和」の額縁を掲げた。私はまず、その響きと字面から、素朴にこの新元号が気に入った。
逆にいえば、「平成」は気に入らなかった |∀・) 当時は中学生だったが、この響きと字面に頭打ちとか停滞とか、成長せずに甘んじるとか、そんなイメージを抱いたのだった。私の予感は不気味に的中した。まあ、その最大の犠牲者が自分を含む氷河期世代になるとまでは、つゆほども思ってなかったわけだが('A`)
一方、「令和」からは、逆境にあっても力を合わせて乗り越えるというような静かな強さを感じる。典拠として初めて日本の古典、しかも万葉集を選んだセンスも渋くていい。

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そんなわけで、池袋に号外を貰いに行った。号外といえば、本来は速報ツールとして機能してきたわけだが、今やテレビ、さらにネットによってそうした意義は失われ、ある意味「記念品」と化しているように思う。号外が出るということは大きな出来事である証拠だからだ。だから、昔と違い、こうして手を伸ばす人たちもすでに新元号を知っている(多分)。ある意味イベントみたいなもので、この写真から伝わってくるカオスっぷりと比べ、現場に意外と緊迫感はなかった。

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しかも、こんなにして群衆の中をかき分けずとも、明治通りの反対側で全く普通に配布されていることが通行人の話で判明。おかげで私も無事号外をゲットできたのだった。
池袋に来ていたのは朝日新聞だった。他社は見なかったので、各社で示し合わせて分業しているのかもしれない。
黒地に白抜きの見出しにした新聞は他になかったように思う。これは悪いニュースを報じるときのフォーマットだ。朝日にとって、新元号公表は悪いニュースなんだろう。とはいえ、記事はぶっ飛ぶことなく事実のみを淡々と報じる内容で安心した。
紙媒体には、書き手や表現者の意思を、より視覚的に訴えられる捨てがたい力があるということだ。あまりネットばかりに傾倒すると、茫洋とした情報の海の中で、大事なものに辿り着けなくなる危うさもある。

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最後に1枚だけ鉄分を。
折しも都内は桜が満開だ。新元号の典拠は梅の頃を表現したものだそうだが、政府もなかなか憎い演出をしたものだ。平成が発表された日の真冬の重苦しい曇天、令和が発表された日の満開の桜(とスギ花粉)を、今後も対照的に思い出すだろう。



で、短いけどまとめ動画です。まあ、号外を貰うだけの内容なので長くしようがないw 尺稼ぎで最後に都電のカットが入ってるのもご愛嬌。(イノテツ)

| ニュースなど | 12:29 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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春浅き武蔵野線沿線を歩く(その2)

少し前まで、朝、家を出るときはまだ真っ暗だったのに、このところだいぶ明るくなってきた。それだけでも気分的にずいぶん違う。その時間帯はまだ寒いものの、それでも、冬が終わったんだなと思う。
春が来た、というより、冬が終わったという思いのほうが強い。
八柱霊園の森の向こうから顔を出しはじめてきた、神々しいばかりの朝日が車窓から望める。少し前まで、この辺りもまだ真っ暗だった。
春休みになったのか、その時間帯でも、ディズニーランドに行くのだろうと思われる若い人で、武蔵野線は結構混み合っている。
中学生か高校生と思われる女の子が、そんな朝日を見て、「めっちゃ、きれい」と言っていた。
明るくなったことで、車窓から、また、線路際に咲く梅の木を見つけた。
昨年の夏、松戸に転居して間もなくのころにご紹介した、東松戸駅~市川大野駅間の葱畑のすぐそばだ。
この辺は、矢切葱というブランド葱の生産が盛んらしい。

梅と武蔵野線

昨年の今ごろは転居に向けて、あれこれと動き始めていたときだったが、あれから間もなく一年になるのだなぁと、だからといって格別感慨があるわけでもないのだが、そんなことを思った。
ところで、その引越し騒動で、昔、尾瀬や御嶽山などで撮ったポジフィルムがかなり大量に出てきた。デジタル化したいと思うのだが、残念ながらどうすればいいのかわからない(タラ坊)。

| 未分類 | 20:38 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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なんだかんだで北綾瀬から三ノ輪橋まで歩いてしまう

ありがたいことに、3月上旬にして今年2度目の宣伝の時間がやってまいりました |∀・)
交通新聞社の新刊ムック・『グリーン車50年の世界』です。
それまでの等級制をやめ、エグゼ向けの車両をグリーン車と呼ぶようになって50年。このタイミングで歴代のグリーン車を網羅し、かつ、それ以前の時代の上級車両、または現在のグランクラスなんかも紹介したムックです。昨秋の『よん・さん・とおダイヤ改正の時代』同様、本文のデザインとDTPを一人で担当させていただきました。
この本に関しては以前もここで進行中であることを書いてきたわけですが、まあ鼻血が出るほど濃いです。正直、鉄ヲタの私でもマニアックすぎてついていけません |∀・) でも貴重な写真が満載で、制作中思ってたより楽しい誌面に仕上がったし、一つだけネタバレすると、現在、中央線のオレンジの電車にグリーン車を増結する計画が進行中ですが、実は昔、それに類する車両が連結されてたって話は面白かったです。
今回、私は裏方に徹し、表立った写真提供はしてないんですけど、誌面に使った地紋の一つは実は上野駅の某所で撮影した写真を加工したもので、気付いた人だけがニヤリとしそうな仕掛けなのですが、今のところ、関係者ですら誰も気付いてないようです。
一般的な情報はネットで簡単に取れてしまう時代、今後の紙媒体の活路はこうしたマニアック路線なのかもしれないね。となれば、前も言ったけど、『キハ20系列のすべて』をぜひやってほしいものです。そんなムックがあったら個人的に買いますわ。

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大きな変貌を遂げる直前の東京メトロ千代田線北綾瀬支線。先日は撮影後、知人と北千住で酒を飲んだのだが、光線の関係上午前中のカットも欲しいということで翌日再訪した。綾瀬駅近くの玉の湯で汗を流した。綾瀬でラーメンを食って帰るかと辺りを歩き回ってみたが、気に入った店が見つからない。あっても昼下がりの時間帯でやってない。この野郎、意地でもラーメンを食いてえぜ、というわけで、ラーメン屋を求めて歩き始めた。
綾瀬川を渡る常磐線。これはいい。上を跨ぐ首都高速が邪魔にも思えるが、これはこれで悪くない気がする。

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ほどなく大きな施設が見えてくる。小菅の拘置所だ。撮影時点ではゴーン被告もここの住人だった。手前には小さな川が流れており、ナマズや鴨がゆったりした時間を過ごしていた。川沿いに遊歩道が整備されており、のんびり歩くことができる。傍の拘置所の存在を思うと、自由のありがたさを感じる。

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小菅駅まで歩き着いたが、やっぱりラーメン屋は見当たらない。しょうがない、荒川を渡るかと、日光街道を行く。手前から千代田線、常磐線、つくばエクスプレス、そして東武伊勢崎線と、鉄道橋が重なる様子は壮観だ。日本が世界に名だたる鉄道の国であることを雄弁に物語る名風景の一つだと思う。
荒川を越えると北千住だ。でも昨日も来たしなと通過して日光街道を南下。途中で大勝軒を見つけたが、やっぱりやってなかった('A`)

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千住大橋駅の間近には二郎があり、行列ができていたがまだ開店前だった。行列に加わっても良かったが、二郎といえばついニンニクを入れてしまうわけであり、その後電車に乗れなくなるので断念。
停車しているのは特急通過待ちの3500形。この車は私が京成沿線民だったガキの頃新製投入され、そのステンレス車体にインパクトを感じた思い入れの深いもの。40年を経て、いよいよ廃車が始まった。

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今更ながらに気付いたが、ラーメン屋は一様に昼下がりの時間帯に休むのね。スマホで調べ、気に入った店があってももれなくやってない。しょうがない、隅田川を渡るか('A`) 現在の千住大橋は昭和2(1927)年に架けられたもので、リベットの列が壮観だ。こういう重厚な建造物は昨今造られんわな。
橋のたもとには松尾芭蕉出立の地を示す碑がある。芭蕉が『おくのほそ道』の冒頭に千住を登場させているのは有名だよね。

ていうか腹減ったっていうんだよこの野郎ヽ(`皿´)ノ 腹が減ると気が立ってくるわな。しかもこの時点で完全に意地になっておりラーメン屋じゃなきゃヤダ! とかになっているのである。もはや馬鹿としか言いようがない。

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南千住を過ぎ、とうとう三ノ輪橋の例のビルまで歩き着いた。荒川線の前身・王子電気軌道のビルだった建物だから相当古いものだ。1階にはタイムトンネルのような通路がしつらえてあり、これを抜けると都電の三ノ輪橋電停だ。不思議な雰囲気がある。夕方だというのに閉ざされたままのシャッターの列が、そういう感覚を一層掻き立てるのだろうか。賑やかだった頃に想いを馳せた。

夕方になると休んでいたラーメン屋が再開する。結局、日比谷線三ノ輪駅の近くに濃厚鶏麺 ゆきかげという店を発見、もともと夜の部しかない店のようで、開店間もなくだったが、狭い店内にはすでに数人の客がいた。奥に1つだけテーブル席があり、あとはカウンターだ。今調べたら、新しい店みたいだね。

世間のラーメンのトレンドは何といっても濃厚豚骨、またはそこに魚介出汁を加えるダブルスープだ。年配の人はなかなかこういうのを受け付けない。先日、実家のカーチャンとしばらくぶりに幸楽苑に行ったとき、塩野菜タンメンを注文したカーチャンは「やっぱりラーメンはこれやわ」と喜んでいた。私も昭和のラーメンの魅力を知る世代なので、味噌野菜タンメンを食いながらそれに同意していた。窓の外にはカーチャンが通う病院。散々「塩分は控えるように」と言われた帰りにここでラーメンを食う背徳感がたまらないのだというw

でも私は平成のラーメンの魅力も知る世代なのだ。氷河期世代は基本的に不幸だが、昭和と平成のラーメンの両方を理解できる点は幸福だと思っている。すっかり話がずれたが、この店は鶏を炊き上げたコラーゲン系のスープ。昭和平成一貫して傍流ではあるが、がっつり食らうというより、疲れたときにほっと癒されるラーメンであり、この日の私にぴったりだった。これはリピートしたいね。

三ノ輪橋から最寄りの庚申塚まで約40分。この40分っていうのは重要で、かつては三ノ輪橋〜早稲田間全線の所要時間だった。現在はたっぷり1時間かかるようになった。国土交通省が規制でがんじがらめにするので、路面電車は遅くなる一方だ。路面電車を潰したいんじゃねえのか、そう、潰したいのである。鉄軌道より道路の方が利権になるからね。これから高齢化が進んでいくというときに私利私欲で公共交通を潰すなやダボがと思いつつも、特に急がない場合には、40分まったり8900形のシートに身を任せ、うつらうつらするひと時は至福である。
多忙で今週末も休めない。ああ旅に出たいなんて思うけど、こうして地元に縛り付けられてる分には、乗り鉄って金がかからなくていい趣味だなと思ったりもする。(イノテツ)

| 沿線散歩 | 09:07 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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春浅き武蔵野線沿線を歩く

武蔵野線の船橋法典駅~西船橋駅間で、線路際に結構な数の梅の木があり、それが花を咲かせているのが車窓から見えたので、うららかに晴れた日の午後、出掛けてみた。
車窓からおおよそのルートを確認しており、西船橋駅から坂を登ったり下りたりを繰り返し、およそ30分ほどでその場所にたどり着けた。

武蔵野線梅林

しかし、たどり着いてはみたものの、周辺は中山競馬場の管理地で、梅林も、左手前の生垣から先は、「関係者以外立ち入り禁止─中山競馬場」と記された札が下がっていた。こんなことは車窓からは知る由もない。したがって、その生垣の手前から撮るしかなかった。
周辺に誰もいなかったから入ってもよかったのだが、わたしは「良識ある撮り鉄」なので、立ち入り禁止の場所に入ったりはしないのだ。
結局、撮ったのはこれだけで、これだけというのもなんだか寂しいので、松戸神社手前の坂川沿いに咲いていた河津桜の写真もついでに貼り付けておこう。

坂川河津桜

梅が咲き、河津桜が咲き、沈丁花の蕾も開き始めてきた。気象庁の開花予想によれば、後3週間もすれば染井吉野も咲き始めるだろう。
こうして今年も春が巡ってくる。人生70年目の春だ(タラ坊)。

| 未分類 | 10:47 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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