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きまぐれ 鉄道日和

お越しいただきありがとうございます。ゆるい鉄道ファン,チョイ鉄向けブログです。ゆるさを追求しておりますwまったりとお楽しみください

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山梨ヌーボーまつりと身延線駅巡り(甲斐住吉駅・南甲府駅)

安倍首相とプーチン露大統領との信頼関係が醸成し、いよいよ日露平和条約実現へと動きそうだ。それそのものは喜ばしいことだが、そこへの最大の足かせになっているのは、いうまでもなく北方領土問題である。
昭和20(1945)年8月、日本が連合国に対し降伏した後、ソ連は北方領土に侵入しこれを占拠した。ソ連は不法行為を犯したのであり、その後継国家であるロシアは日本に返還すべきだが、それはいまだになされない。結局この世は道理より暴力が優ってしまうのだ。
昭和31(1956)年、日ソの平和条約交渉は決裂、日ソ共同宣言によって国交を回復した。いうまでもなく北方領土問題が解決しなかったからである。日本は交渉中、一度は歯舞群島・色丹島の2島返還で妥結する案を呑む方向に傾いていた。ところが態度を転換、国後・択捉両島の返還も求めることにしたのだ。国後・択捉を要求し続けなければ沖縄を返還しないという米国からの横槍(ダレス恫喝)の存在も見逃せない。時代は冷戦下、日ソに楔を打つのが目的だったのだろう。
こうして日本人の間には「4島一括返還」という空気が醸成されたわけだが、ハードルを上げたことにより、4島どころか1島も戻らないまま現在に至っている。敗戦国の悲哀そのものだが、すでに冷戦が終わり新たに中国や北朝鮮の脅威が増す今、日米露が火種を抱えたままではこれらを利するばかりだ。
とはいえ国際政治は猜疑心の塊だ。日米安保条約によれば、返還後の北方領土に米軍基地を置くことも可能なわけで、ロシアはそこに神経をとがらせている。国後・択捉を軍事化しているのはその表れであり、当面この2島の返還は困難だろう。日本の安保の要である日米安保条約が、ここでは障害になってしまっているわけだ。
一方、歯舞・色丹は北海道の付属島であって、そうした懸念は小さい。面積でいえば北方領土全体の7%に過ぎないが、付随する海ははるかに広大だ。海洋国家である日本はそこに着目すべきだともいえる。忸怩たる思いながら、歯舞・色丹先行返還、国後・択捉についてはむにゃむにゃという感じで交渉の糸口を残すのが現時点での落としどころではなかろうかと考えている。

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今年もボジョレー・ヌーヴォーが解禁され早速1本空けたところだが、それに先立つ3日、甲府で山梨ヌーボーまつりが催されたので取引先関係の方々と参加した。山梨県内にあるワイナリーがこぞって参加する試飲会である。酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ♪

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会場の小瀬スポーツ公園は甲府駅から離れているためシャトルバスが出ていたが、私は鉄ヲタなので鉄道利用にこだわった。身延線に乗り換え、甲斐住吉駅で下車すれば徒歩30分程度である。運賃も東京からだと甲府までと同じなので微妙にお得 |∀・)
写真のように何の変哲もない棒駅なのだが、特色は待合室にある。

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柱を接写してみる。「SHEFFIELDTOUGHENEDSTEEL.W.1887」などの文字が読み取れると思う。これは英国CAMMELL社製の古レールであり、刻印通り、明治20(1887)年に製造されたもの。これは身延線の前身、富士身延鉄道の開業よりも古く、どんな来歴でここにきたのか興味深いところだ。

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さて、会場に歩き着き、他の参加者とぼちぼち合流、ワインの試飲を楽しんだ。1500円のチケット制であり、10枚の試飲チケットと専用ワイングラスを持って各ブースを物色する。用意されたワインは70種以上。まあ私はワインには詳しくないので、名前と見た目で選ぶ。競馬の初心者かよ。
好天に恵まれ、11月とは思えない日差しに気温がぐんぐん上がる。地元の新酒を次々試すが、アルコールが体から揮発するのか、あんまり酔わない。思わず露店でビールも買っちった |∀・)

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この日は山梨県民の日でもあり、その関連イベントも兼ねていた。延々続く露店の列に圧倒されつつ、富士宮焼きそばや、丹波山村の干し舞茸なんかを買い求めた。
余談だが、奥多摩から奥秩父方面への登山のためにバスに乗ると丹波というところが終点になる。ここが丹波山村である。公共交通機関はこのバスのみなので、山梨県内からは行けない山梨県の村である。また、近世以来合併も改名もしていないそうで、隣の小菅村とともに貴重な存在だ。

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イベントは盛況のうちに終了、メンバーはシャトルバス、宿泊先へと散り、一方の私は再び身延線へ向けて歩いた。今度は南甲府駅だ。それにしてもスマホの地図アプリは便利だ。現在地と向かっている方向を表示してくれるので、初めて来る場所でも気楽に歩き回れるようになった。おかげで旅先で歩くことが格段に増えた。
40分ほど歩き、身延線の線路に行き着くと踏切の警報機が鳴った。特急ふじかわである。秋の日は釣瓶落とし。だいぶ日が傾いてきており、側面ギラリで撮影できた。

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南甲府駅に着いた。なにこの豪華な駅舎と驚く重厚な構えである。旧富士身延鉄道の本社を兼ねていた名残なんだそうで、現在も広い構内を持ち、身延線の拠点であり続けている。なお、駅舎は北西を向いているので、夕方でないと順光にならないと思う。

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拠点とはいうがホームは1面2線のみ。かつ引き込み線は剥がされ貨物輸送もなくなるなどここにも地方鉄道の衰退が忍び寄っている。だが甲府〜鰍沢口間は比較的列車本数も多く、こうして列車交換の様子を眺めているとまだまだ活気があった。近年の乗降客数も概ね横ばいで踏みとどまっているようだ。この光景が続いていってほしいと願いながら甲府行きに乗り込んだ。(イノテツ)
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| 沿線散歩 | 14:54 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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荒川線の日イベントから尾久、田端へ

今日は2回分の写真だけはありつつ、うまく2回に分けられなそうなので一挙にうpすることにしました。長くなるので無駄口枠はなしです |∀・)

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去る21日、荒川車庫にて「荒川線の日」イベントが行われた。以前ならこのブログでどこの報道機関より早くうpしていたネタなのだが最近は正直つまんなくてねー。今回は軌陸車の展示があるというので後日うpするつもりの動画の素材集めのために数年ぶりに足を運んでみた。
今回の目玉は、最後の公開となる花電車用車両・花100形(写真右)だったわけだが、せっかくの行楽日和の好天を避けて、電車は終始屋内に置かれたままだった。嫌がらせなんですかねこれ。でもまあ一応は7700形(写真左)との並びを撮ることができた。
1980年代の都電は7000・7500両形式の更新車両によって運営された。まあ都電史において最も地味な時代であり、あんまり顧みられることもないのだが、その両形式の成れの果てがこの写真ってことだ。7000形は8両が7700形に改造されて現役を続行しているのに対し、7500形は1両だけがこうして花電車用に改造され、それも本線で活躍した機会は1回だけだった。この落差。ひねくれ者の私は、いうまでもなく7500形の方が好きだった。その思い入れもあって、先日も震災と7500形の動画を拡大してうpしたのだ。
だが、社会の趨勢は大抵私が望まない方向へ進む。ああ、このままだとハードランディングだなあと、ちょっとオカルトティックなこと言っちゃっていいかしら。

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イベントそのものは面白味に欠けるので、出店してるブースを見て回った。ひたちなか海浜鉄道と銚子電鉄は姉妹鉄道の提携を結んでおり、この日も仲良く隣同士にブースを出していた。私がひたちなかキハ3710形の塗色をデザインしてから9年、湊線にはJRからキハ11が入り、そっちが主力になってしまった。そういえば銚子にも今のラインナップになってからは行ってねえなあ、また行きてえなあと思いつつ、両ブースでグッズを買い求めた。その中で、今回うpするのが画像の左、銚子電鉄の古レールを輪切りにした文鎮である。出版業界の私にとって、ゲラを扱うのに文鎮は未だもって必須の品で、これまでは右の中国清朝時代の咸豊通宝100文銭を使っていた。

余談になるが、中央の天保通宝が同じ頃、日本で使われていた100文銭だが、ずっと小さいのが分かる。これは天保通宝がしょぼいのではなく、咸豊通宝が巨大すぎるのである。それだけ当時の清朝の貨幣制度が混乱していたことを表している。だいたい、小銭が文鎮の如くごつかったら不便この上ないわな。貨幣が信用を得れば小型化していく。参考として、下のが現代日本の500円玉である。そして今や貨幣はバーチャル化していく過程にある。まあこれは落とし穴だから気をつけろと、再びオカルティックに言っとこう |∀・)

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ああ残念だったと荒川車庫を後にし、ぷらぷら歩き出した。この辺りは有数の鉄道スポットである。しばらく歩く間に尾久駅と田端駅があり、鉄分に満ちた散歩道になる。
途中に見える踏切は東北本線と尾久車両センターを結ぶ線路にあるもので、回送列車のみが走るので特に日中はあまり動かない。それで、まったりこんな図が撮れたりする。E257系が置かれているのが興味深い。中央線特急にE353系が投入されるのに伴い、東海道線の踊り子用に転用されるのではないかといわれている。

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おっと、出庫の列車だ。だからこれは意外と貴重な図だったりする。

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午後になり腹が減ったので、近くの吉岡で食事にした。自家製麺が自慢だ。今回は最もオーソドックスなものを注文したが、見た目以上に麺もスープも現代的なラーメンで美味かった。近所にあったら通ってしまいそうだ。
街そのものはシケているが、業務スーパーがあったりして生活には便利そう。鉄ヲタが住むにはいいところかもと思った。

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さらに少し歩くと田端運転所があり、もうこの辺りは四方が鉄道に囲まれている。左に行けば田端駅が近いが、もう少し歩くことにして右へ。やがて線路をまたぐように坂道になり、橋に差し掛かったところで貨物列車がやってきた。もう日が傾いてきており絵的には惜しいものの、この時間帯の貨物列車は多くないと思うのでラッキーだった。

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上中里駅である。電車に乗っていると「なんでこんな何もないところに駅が?」と思うが、こうしてみると、きちんと駅舎も駅前広場もある。ただし駅前の通りは細い。昔はもっと細くて自動車が進入できないほどだったといい、まさに都会の秘境駅といった風情だったことだろう。

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駅の脇から、王子方面へ続く小道が伸びていたのでここを歩いた。列車が次々と通り面白いが、絶好の撮影ポイントらしいものはない('A`) ただ、跨線橋から見たこの光景は印象深かった。右が京浜東北線、中央が東北貨物線(湘南新宿ライン)、そして左の高架が東北新幹線なわけだが、それらに挟まれてうらぶれた線路が延びている。先年廃止された北王子線だ。貨物専用線で本数も少なく地味な存在だったが、独特な雰囲気を持つ沿線を何度か歩いたものだった。廃止されて4年ほど経つが一応草が刈られ、錆びているなりにレールも剥がされずに残っている。

ここから都電の栄町電停が近く、まもなくやってきた電車に乗って帰った。つれづれ歩いただけだが、意外と充実した鉄道散歩になった。(イノテツ)

| 沿線散歩 | 05:47 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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初めての真岡鐵道(2)

私がデザインを担当した「時刻表読本」。おかげさまで好評をいただいたようで、現在、続編を制作中です。はっきりいって、前回の以上に力を入れています。出来上がったら、宣伝させてくださいね |∀・)
最近の仕事で感じるのは、編集のトレンドが変わってきたことだ。しばらく前までは「空間を活かす」とかいって、スカスカな本がもてはやされた。文字を大きくし、行間もガバガバ空けて、1頁数秒で読み飛ばせるような本を私も随分作った。だが最近は濃密な編集が目立つように思う。本文の文字の大きさからいって、駆け出しの頃お世話になった自費出版の某社だと14Q(3.5ミリ)が標準だったのが、今やっている本だと12Q(3ミリ)である。たった0.5ミリの差と思われるかもしれないが、入る情報量や誌面の印象は全く違う。
いうまでもなく出版業界は斜陽であり、常にネットとの対抗を意識しなければならない。そうしたとき、より濃密さと重厚さでもって存在感をアピールする方向に移ってきたのではないだろうか。デザインする側としては要素が増え、大変だ。昨日も「原稿が多すぎです。削れませんか」と編集に要望したりした。ただ、スカスカな本を作るよりも、明らかに充実感がある。この方向は間違っていないと感じている。

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【前回のあらすじ】
母とドライブで真岡鐵道沿線に来た。
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国道294号を下っていくと、「真岡8km」の標識が出た。「せっかくだから真岡まで行ってみようか」、私はそう言って、車を北へ走らせた。母は以前、亡き父に乗せられて、この先の益子には行ったことがある。だが益子はいいと言う。それでなくても多すぎる器の類いを処分している最中なのだ。
真岡に来たのは初めてだった。栃木県の中小都市には味のあるところが多いが、ここもそうだった。住んでみたいところだと母は言った。予定外だったので、予備知識はない。奇天烈な駅舎がある真岡駅の写真を見たことがあるだけだ。駅は、メインストリートを外れた、裏道みたいなところに面していた。

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真岡鉄道といえばSLもおかである。この駅舎もSLを模しているわけだが、私の関心は、当然、展示されているキハ20に向いているのだった。全ての鉄道車両の中で、私が最も好きなのが、このキハ20だ。しかし、ナウなヤングの私は、こうして静態保存してあるのを眺めることしかできない。現役のキハ20には、ひたちなか海浜鉄道でしか乗ったことがない('A`)

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なんでここにあるのかはよく分からないが、蒲原鉄道の貨車なんかも展示されていた。私が全国を旅していた頃は地方私鉄がバタバタ廃止されていた時期で、限られた金と時間では到底まわり切れなかった。蒲原鉄道も、最後まで行くことができなかった路線で、残念だ。

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ていうか、真岡駅がこんなに鉄分の濃い駅だとは知らず、結構楽しめた。
屋内に展示されていた旧型客車には「平⇔原ノ町」のサボが掲げられており、一時期福島に住んでいた母にとっては大変懐かしいもののようだった。母が越してきたときは平市だったのが、途中で合併していわき市になったんだと聞いている。思えば、現在の実家があるのがつくばみらい市という、実にみっともない市名なのだが、母があんまり抵抗を感じていないのは、当時としては極めて斬新だったひらがな市名への変更を、若い頃に経験していたからかもしれない。

現在は合併して真岡市となったが、以前は二宮町という自治体があった。私はてっきり神社の二宮があるからだろうと思っていたが、二宮尊徳が由来なのだった。そういえば、先に訪れた久下田駅にも尊徳の像があった。それで、桜町陣屋跡に寄っていこうかと提案したのだが、母が別にいいと言うので通過した。これが当たりだった |∀・) 行きに見つからなかった折本駅に着くと、SLもおか到着の10分前だったのだ。全くの偶然だった。うわ、SLを見るのは、俯瞰の本の取材でザンゲ岩に登って以来だぞ♪

折本駅に関しても全く予備知識がなかったが、駅付近におあつらえ向きの歩道橋があり、すでに見物客が集まっていた。階段は緩く作ってあり、膝の悪い母でも登ることができた。

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「SLとかいうからもっとごついのかと思ったら、小さいのね」。これが母の感想だった。そう、真岡鉄道のC11やC12は、ローカル線向けの小型機関車だ。母は都会育ちで、ローカル線というものに馴染みがない。SLといえば、D51やC62みたいなごついやつしか知らないのだ。それでも、もうもうと立ち上る黒煙や、懐かしい汽笛を聞いて、感動している様子だった。

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下館からの返しも、この歩道橋から撮った。茂木方にディーゼル機関車が連結され、C12は引っぱられているだけだった。それでもこの長閑な鉄道風景は、いまや得難いもので実に素晴らしい…ようにこの写真からは思えないかもしれないけど。露出の設定をしくじり、えらく飛んでしまったので、加工とトリミングを施しました('A`) 本来は背景に筑波山が入る。駅近くの歩道橋という極めてお手軽ながら、すごくいいポイントだ。
「ここはいい所だった。今度は列車に乗って来るわ」と感激していると、母が身も蓋もないことを言うのだった。「列車で来たら切符代が要るやないか」。なんかもう、さすがに大阪出身だけのことはあるわな('A`) 「いや、切符を買ってあげないと廃止されてしまうがな」。乗り鉄的にそう答えるしかなかった。
ごめんなさい。そういうことで、今回は真岡鐵道に一銭も落としていません |∀・) また機会を改めて、しっかり全線乗り通したい。そうそう、ここは「ときわ路パス」のフリー区間に加わったんだった。そういうのを活用しても面白そうだ。(イノテツ)

| 沿線散歩 | 14:19 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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東京駅〜日本橋 百年散策

今回の衆議院選挙では、野党やマスゴミが、大義がないだの700億円だのと、いつになく批判的だった。解散風が吹き出す直前までは「国民に信を問うべきだ」とか同じ口で言ってたわけで、臭いものを感じていた。
選挙には「振り子理論」が働くという。前回大勝ちした政党は次は大負けするという、あれである。確かに直近数回の衆院選はそれに沿って推移してきた。しかし今回はそうならなかった。そうならないタイミングで解散し、勢力を維持して政権を延命しようというのが安倍首相の狙いだったろうし、野党やマスゴミもそれを感じたからこそ反発したのだろう。政策より政局が優先された印象は確かに否めない。
そうした中で漁父の利を得たのが共産党だったし、波に飲まれたのが次世代の党だった。正直言うと、大勢のことより、この部分の方が遥かに切なかった。時代はなかなか進まないなあ…。

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東京駅開業100周年ということで、いろいろなイベントが用意された。最大のイベントが丸の内駅舎の復原だったわけだが、それは置いといて、その他各種の催し物に関して、私はオールスルーだった。とにかくひねくれ者なので、他人と同じ行動をしたくないのだ |∀・) だがこの、「東京駅〜日本橋 百年散策」企画だけにはのらざるを得なかった。

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東京駅と、周辺四カ所をまわって、記念レプリカ硬券を集める企画である(12月20日まで、硬券がなくなり次第終了)。ああ、もろに収集癖がくすぐられるぢゃねえかw 丸の内駅舎のイラストが描かれたこれは台紙になっていて、これら5枚の硬券ともども無料でもらえるという太っ腹ぶり。あくまでレプリカではあるが、往年の硬券と同じ素材と方法で製造されている(ソースはパンフレット)ので、見た目は極めてリアルだ。日付もダッチングによるもので「14.12.20.」とある。14は当然西暦で、開業日の1914年12月20日からの100年を表していているわけだ。地紋は実は当時のものではない。五枚でそれぞれ違うので、観察してみると面白い、とにかく凝っている。

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裏面には、経由地であり主催者である五カ所の紋章が印刷されている。下のものはあまり見かけないが、鉄道省時代から受け継がれてきた動輪マークで、実は現在でも一部のJRで制帽などにあしらわれている。
また、本物の硬券同様、番号が印字されている。小さく付いている丸数字は、3巡目、4巡目を表しているのだろうか。だとすると、このイベントに、相当な人が参加したことになるなあ。
無料ではあるが、逆にいえば非売品なので、直接現地に足を運ばないと手に入れられないところに意味がある。この機会に、普段は行かないようなところを歩いて楽しかった。

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最たる例が、散策コースの起終点となる東京駅の八重洲口だ。うををっ、いつの間にかすっかり様変わりしているっ! 丸の内駅舎ばかりに気をとられて全然知らなかった。ツインタワーを両側に配し、駅舎そのものは低層になったので開放感があっていい。おそらく、丸の内側からの景観に配慮したのだろう。

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ここ日本橋も、通過したことは何度もあるだろうが、わざわざ足を止めたことはなかったと思う。橋銘は徳川慶喜の揮毫によるもので、平成11(1999)年に国の重要文化財に指定された。その辺を踏まえて現状を見ると、覆いかぶさる首都高速が改めて邪魔だ。昭和の遺産のうち、悪いものの典型例がこれだろう。撤去の構想は多くの人が語ってきたことだが、例えば東京オリンピックまでに実現できたら素晴らしいな。無理だろうけど('A`)

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日本国道路元標(本物)。交通には充分気をつけて撮影しています。

で、高架の影になった橋の中央に、この日本国道路元標がある。日本の道路の起点がここである。文字は佐藤栄作首相(当時)の揮毫によるもの。昔の人は字がうまいよなあ。なお、本当に橋の中央にあるため、撮影するのにここまで行くことそのものがデンジャーだ。橋のたもとにレプリカがあるらしいことは帰宅してから知った。ネット上の画像検索でも出てくるのは概ねそっちの方だ。安全に撮れるわけだし、別にレプリカで良かった('A`)

道路元標を撮影した勢いから鉄道のそれも見たくなり、東京駅へ戻ることにした。そういえばこれまで実物を見たことがなかったのだ。しばしば利用する駅でありながらこうである。まあそもそも本来、駅という施設そのものが、ゆっくり見てまわる類いのものではないわけだが。(イノテツ)

| 沿線散歩 | 18:05 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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初詣・板橋不動尊〜つくばエクスプレス沿線の名刹

新年ですが、喪中なのでお祝いの言葉は申せません。本年も、よろしくお願い申し上げます。
新年最初の仕事は、墓石に刻むデザインだ。父は長男なのだが、まあいろいろあって、故郷・松山にある墓には納骨せず、新たに墓を建てることにした。母は僧侶の娘、私も名門T大学卒の仏教学士だが、父の葬式は自由葬だし、また公園墓地を選んだので、ある程度自由なデザインが許される。だいたい、「先祖代々之墓」とか刻んだところで、どうせ俺で断絶だしな('A`)

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そんな状況ながら、初詣には行ってきた。初詣というと、実家近くのお不動様と、東京の氏神様の2カ所にお参りするのが常だ。今日は氏神様の方だった。おみくじを引き、例によって鬱になりつつ結んでいる背後で、「やったー大吉だ!」という若い女の大きな声がした。ああそれはよかったですねと思っていたら、さらにこう続けた。「他の人は凶だろざまーみろ♪」。ああこいつ、確実に大吉取り消しだわ。

さて、今回メインの話にしたいのは、「実家近くのお不動様」の方。大きい寺だが、清安山願成寺不動院という正式名はほとんど知られていない。「板橋のお不動さん」と呼び親しまれているという解説をよく見るが、そんな風に呼ばれているのを聞いたこともない |∀・) 地元では、もっぱら「板橋不動尊」と呼んでいる。大同3(808)年、弘法大師空海による開基と伝えられる古刹で、関東三大不動尊の一つだとか、北関東三十六不動尊霊場のトリだとかで意外とメジャー。子供の頃は近所の寺くらいの認識だったが、そういえば近隣に、ここまで大きい寺は他にないのだった。

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村には長らく鉄道も国道もなく、メインストリートはこの県道だった。県道沿いに2つの旧市街があり、こちら、板橋の旧市街の方が歴史がある。現在ではすっかり寂れたが、初詣の時期には、渋滞が起こるほどの賑わいを取り戻す。県道沿いに伽藍が現れるこの景色は、地元民ならずとも胸躍る渋さだ。

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母は体が弱く外出を好まないので、初詣にはいつも、父と二人でここに参っていた。世間では全く顧みられることはないが、この辺りも家の屋根が崩れたり塀が倒壊したり、あるいは地盤沈下もあったりという震災の被災地だ。そんなことを話しながら、不動尊への坂道を上っていったことが思い出される。今年は一人だ。

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参拝の後、引き続いてつくばエクスプレスの撮影に移るのだった。本来、沿線の徘徊は徒歩でするものというのが持論なのだが、地元の強みということで、今回は原付を使用している。使ってみると便利だわ実際 |∀・)
ここ、みらい平駅は不動尊の最寄り駅になるのだが、歩くには20分以上かかるだろう。道は分かりにくいし、バスは1日3往復。どうも周辺と隔絶されている印象がある。村がつくばみらい市とかいう恥ずかしい名前になったのも、この駅名のせいだ。待望の鉄道だったが、旧住民には何の利益ももたらさなかった。

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実際、母はいまだに乗ったことがないし、父も生前「本線(常磐線のこと)の方がいい」と言っていた。いや、本線は東北線のことで、常磐線は支線なのだがなどということを言ったところで、通じるのは鉄ヲタだけだろう('A`)

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村で一番高い建物は学校の校舎だった。2階建ての雑居ビルが実在するって知ってますか。3階建てになるとビューハイツ。いや、本当に眺めがいいんだもん。そんな村にでかいマンションが建ち、かっこいい電車が走るようになったことは、実益はなくとも嬉しいことではある。人口も4万7千人まで増えた。5万人に達すれば、堂々と市を名乗れるじゃないか。

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建築中のスカイツリーを逐一撮影し、完成したそこに登ることを楽しみにしていた父だったが、その望みが叶うことはなかった。フィーバーが落ち着いたところで、遺影を持って登りたいと思っている。その際には、母もTXを利用することになるだろう。この写真は、みらい平〜守谷間で撮ったもの。私が知る限り、最も遠くから見るスカイツリーである。(イノテツ)

| 沿線散歩 | 01:36 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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