きまぐれ 鉄道日和

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<鉄道と文学>太宰治の「列車」を読む

さて、またまた、困った時の「鉄道と文学」である。今回は太宰治の、その名もズバリな「列車」という短編を採り上げよう。

──一九二五年に梅鉢工場といふ所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輌と、食堂車、二等客車、二等寝臺車、各一輌づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輌と、都合九つの箱に、ざつと二百名からの旅客と十萬を超える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森に向けて走つた。時に依つて萬歳の叫喚で送られたり、手巾(ハンカチ)で名残りを惜しまれたり、または嗚咽でもつて不吉な餞を受けるのである。列車番號は一〇三。
 番號からして気持が悪い。一九二五年からいままで、八年も経つているが、その間にこの列車は幾萬人の愛情を引き裂いたことか。げんに私が此の列車のため、ひどくからい目に遭わされた。

長い引用になってしまったが、こういう出だしではじまる小説は、この後、その「からい目に遭わされた」経緯が綴られていく。
主人公である「私」と高等学校の寮でひとつ室に寝起きしていた男には、同じ郷里ということもあって幼いころから親しくしていた女性がいた。しかし、その女性は貧しい家の生まれであったため、身分が違う(そういう時代だった)ということで、父親から交際も結婚も反対されていた。
男はその後大学に進み、いつしかその女性と縁遠くなってしまったが、ある日、その女性が突然上京してきてしまったのである。すでに、その女性に対してそれほどの思いを抱かなくなっていた男は困惑し、「私」にどうしようと相談を持ちかけてきたのだ。
その結果、女性を青森に返そうということになり、「私」も見送りに付き合わされ、そこで、先のC五一型機関車に牽引された客車の内と外とで、互いに対峙することになるのである。
発車三分前であった。

──私は堪らない気持がした。誰だつてそうであらうが、見送人にとつて、この発車前の三分間ぐらゐ閉口なものはない。

そして、語るべきことも語りつくし、ただむなしく顔を見合わせているばかりなのだが、女性は、

──窓縁につつましく並べて置いた丸い十本の指を矢鱈にかがめたり伸ばしたりしながら、ひとつ處をじつと見つめてゐるのであった。

鉄道と文学

戦争がはじまったばかりの頃だった。他の車両では、出征兵士とその見送りの人の姿も見える。それを見るでもなく見ながら、

──私は見るべかざるものを見た気がして、窒息しさうに胸苦しくなつた。

やがて発車の時刻となり、

──列車は四百五十哩の行程を前にしていきりたち、プラツトフォムは色めき渡つた。

見送りに付いてきた「私」の妻が、

──列車の横壁にかかつてある青い鐵札の、水玉が一杯ついた文字を此頃習ひたてのたどたどしい智識でもつて、FOR A-O-MO-RIと低く讀んでゐたのである。

というところで、小説は終わる。
戦争がはじまったばかりの頃の時代の重苦しさ、北へ向かう列車の重苦しさ、さらに、その列車が運ぶ人の重苦しさが伝わってくるようで、読んでいるほうもどんどん重苦しくなってきてしまう。
同じ列車に乗り合わせても、その乗客のなかには、親の危篤の報せを受けて急ぎ郷里へ向かおうとしている人もいるだろう。これからはじまる旅行に胸弾ませている人もいるだろうし、久しぶりに家族のもとに帰ろうとしている人もいれば、恋人に会いに行こうとしている人もいるだろう。そうかと思うと、死に場所を求めて旅に出ようとしている人もいるかもしれない。
まさに「幾多の胸痛む物語とを載せ」て列車は走るのである(タラ坊)。
※引用は「太宰治全集1」(筑摩書房)に拠った。

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| 鉄道と文学 | 08:55 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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蒲田のタイヤ公園に行ってきた

以前、アホキさんが蒲田を取り上げた時、絲山秋子の『イッツ・オンリー・トーク』(文春文庫)という小説が蒲田を舞台にしているというコメントを書いた。
それで、改めて、読み返してみた。
小説は、仕事も恋人もすべて失った橘優子という女性が、「山手線に乗って路線図を見ていると<蒲田>という文字が頭のなかに飛び込んで」きて、「それで、品川まで行って京浜東北線に乗り換え」蒲田で下りる。すると、「発車ベルの代わりに蒲田行進曲のオルゴールが鳴って」いて、そして「直感で蒲田に住むことにした」というところから話がはじまる。
この橘優子の周囲に、ヒモをやっていたけれど、その女性から捨てられて優子の借りているアパートに転がり込み居候となる従兄弟やら、インポテンツの区会議員、うつ病のヤクザ、痴漢などが集まってきて、これらの男たちと絡みながら話は展開していく。優子自身少し神経を病んでいて、メンタル系の病気のウェブサイトを立ち上げており、そこに安田といううつ病のヤクザがメールを寄越したのだ。
その安田と蒲田ではじめて会うことになる。
「ああ、いい街ですね、蒲田。ちょっと歩いただけだけど」
「でしょ、なあんか、懐かしいみたいな感じするよね」
「どことなく猥雑で小汚くて」
「そうそう『粋』がない下町なの」
蛇柄の雪駄履きの安田とそんなことを話しながら蒲田の街を歩き、そして二人はタイヤ公園に向かう。
「タイヤ公園に着いた。京浜東北線の線路沿いに公園があってタイヤで作られた巨大な怪獣が二頭そびえている。安田がため息のような、歓声のような、かすれた、声にならない声を出した。雪駄をぱっと脱ぎ捨てて、あっという間に安田は怪獣の頭の方まで登った。そして私を見下ろして『ここに来たかったんだよ』と笑った。」
そのタイヤ公園は、蒲田駅から線路沿いに川崎方面に約15分ほど歩いたところにある。

タイヤ公園

「京浜東北線の線路沿いに」と書いているように、すぐ傍を京浜東北線が走っており、川崎から蒲田に向かう時、電車の車窓からも左手にそれが見える。

京浜東北線

 タイヤ公園というのは通称で、正式には西六郷公園というらしい。約3,000個のタイヤが置かれているそうで、タイヤのトンネルやらタイヤを使ったジャングルジム、また高さ8メートルのタイヤで作ったゴジラの像などがある。

ゴジラの像

この『イッツ・オンリー・トーク』は、「やわらかい生活」という題で映画化もされている。寺島しのぶが橘優子を演じており、豊川悦司がヒモをやっていて女から捨てられた従兄弟を演じ、妻夫木聡がうつ病のヤクザの安田を演じていた。
疲れたらちょっと休んでみようか、というような、ゆるい雰囲気が全体に漂う映画で、何より寺島しのぶの「どうでもいい」感じがよかった。
そういう「ゆるい」雰囲気に、蒲田という街の風景は実によく合っていた(タラ坊)。



| 鉄道と文学 | 06:25 | comments:4 | trackbacks:1 | TOP↑

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蒸発旅日記

以前、つげ義春氏のことを話題に取り上げたことがあった。つげさんは漫画もいいが、エッセイもなかなかいいものを書く。そのつげさんのエッセイに「蒸発旅日記」(『貧困旅行記』所載 新潮文庫)というのがある。
「二、三度手紙のやり取りをしただけで一面識もない」女性と結婚しようと、九州へ行く話である。「ひどいブスだったら困るけど、少しくらいなら我慢しよう」そう思い、遠い九州でひっそり暮らすのもいいなと考えて出掛けて行くのである。その辺がいかにもつげさんらしい。
さて、その旅程だが、新幹線で名古屋まで行き、紀勢線に乗り換えて、三重県の松坂で1泊。翌日、近鉄で大阪へ出、九州行きの列車に乗っている。
真っ直ぐ九州へ向かわず、わざわざ三重県を経由しているところに、その九州行きへの躊躇いが見られる。大阪から九州行きの列車に乗る際も、いったんは止めようと思いながら、発車間際の列車に飛び乗ってしまう。しかし、結局は、その女性と結婚することはなく、九州の温泉を巡って、ストリップ小屋の踊り子さんと寝たりしながら、また東京に帰ってくるのである。
「蒸発というのは案外難しいものだな」というのが、その旅で得た唯一の教訓だったようだ。
人は「また帰ってくる」という前提で旅に出るのだが、帰らなければならない何ほどのことがありや、という思いもしないではなく、蒸発願望は少なからず私の中にもある。
そんな蒸発の旅にも、やはり鉄道が似合うと思った(タラ坊)。














| 鉄道と文学 | 05:49 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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門外漢の編集長日記<シリーズ:鉄道と音楽>

 以前、狩人の「あずさ2号」について触れたが、狩人は「磐越西線」という歌も唄っている。そこで、鉄道に関する歌というのが他にもあるんじゃないだろうかと思って調べてみたら、長渕剛の「鹿児島中央STATION」や、aikoの「三国駅」、高石省三の「夜明けの甲府駅」など駅名を曲名にしたものから、先の狩人の「磐越西線」をはじめ、「池上線」(西島三重子)、「函館本線」(山川豊)、「恋の山手線」(小林旭)など路線名を曲名にしているもの、また、これも先の狩人の「あずさ2号」や、チェリッシュの「はつかり号は北国へ」など列車名を曲名にしているものなど、あるわ、あるわで続々出てくる。中には「走れ! 江ノ電」(太川陽介)などというものもあった。“ご当地ソング”ならぬ“ご当地鉄道ソング”である。いかに鉄道にまつわる風景というのが人の情感に訴えるかの現われだろう。  
 情緒ある鉄道や駅舎、路線が次々姿を消して行く現在、次第に鉄道が歌に唄われることも少なくなってくるのではないだろうか。もっとも、これも前に書いたが、「情緒でメシが食えるか!」と言われれば、何も言えなくなってしまうのだが(タラ坊)。

| 鉄道と文学 | 09:58 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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門外漢の編集長日記<文学と鉄道>

以前、つげさんの漫画を取り上げたので、漫画ついでに、今回は永島慎二氏の名作(だと私は思っている)漫画「フーテン」を取り上げたい。
1960年代の後半、新宿駅周辺に屯していた新宿フーテン族については、雑誌の第2号の表4でも書いているが、あの時代を象徴する一つのムーブメントではなかったかと思っている。
さて、永島慎二氏の「フーテン」だが、これは、売れない漫画家長暇貧治氏を主人公として、一年中コートを着ている東大出のインテリフーテンコート氏をはじめとした新宿フーテン族との交流を描いた作品で、その中に「山手ホテル」というのが出てくる。つまり、山手線で一眠りするということだが、山手線というのは、乗り過ごすということがないので、寝るにはもってこいなのではないだろうか。
長暇先生は西武線沿線の安アパートを仕事場兼住居にしているので、西武線も度々登場する。
夏雲を背景にプァーンと警笛を鳴らして走る西武線を見ると、かつて20歳前後の頃、今のニートに近いような生活をしていた私は、よく、友だちがアルバイトをしている江古田の喫茶店に朝から夕方まで入り浸り、夕方になって、さすがに飽きてくると、仲間たちとつるんで石神井公園などに遊びに行ったことなどを思い出す。みな、良識ある大人たちの顰蹙を買うような風体をしていたので、すれ違う大人たちから非難めいた目を向けられたものである。
こんなことをしていてもしょうがないなという思いはあっても、その先に一歩進むことができずにもがいている、そんな日々であった。
そんな意味で、漫画「フーテン」は切なくも物悲しい青春の日々の、あのどうしようもなさというものを私に思い起こさせてくれる(タラ坊)。

| 鉄道と文学 | 10:18 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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