きまぐれ 鉄道日和

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クレバーニュの森

R0023171.jpg
リビブの北西部200kmくらいのところにある樹のトンネル。

クレバーニュの森のトンネルは「The Tonnel of love」 で紹介された場所だ。

http://nylongirls.jp/lite/archives/4847954.html

私はツイッターで知ったのだが、なんとウクライナにあり、それもリビブからそう遠くない。ぜひ行ってみたくなった。いつもの事だが、ロシア語がわからず、たどり着くまでにけっこう苦労した(4回かかった)ので、行き方を紹介しよう。
といってもクレバーニュの鉄道駅からは歩いても15-20分くらいのところにあった。

グーグルマップだとだいたいこんな感じで大まかな道と線路のみが表示される。

36_20120126100331.jpg

駅周辺は細かい道が多い。駅に降りたら線路を渡って反対側にでる。野原のなかに小さな道があるので右に曲がり少し行くと、左手にカーブする支線が見えてくる。支線に沿って小さな道があるので、図のように歩いて行くと踏み切りに出る。この踏切から北を望む方角だ。レンズは望遠レンズが必須。

ところで、クレバーニュ駅にはどうやって行くか?
近くの街に安宿が見つからなかったので、200kmくらい距離はあるのだが、リビブから日帰りで行く事にした。ファーストクラスで片道500ー600円程度、セカンドクラスだとさらに半額くらいになる。

【行き】
リビブ発 9:32
ズダルブニウ着 12:00ごろ
ズダルブニウ発 14:49
クレバーニュ着 15:44

【帰り】
クレバーニュ発 16:40
ズダルブニウ着 17:40
ズダルブニウ発 17:55ごろ
リビブ着 21:00ごろ

リビブ近郊は割と英語が通じる人もいるのだが、そうでない人もいる。切符を買う時はあらかじめ行き先を書いた紙を用意しておくとスムーズだ。地名の対応表を用意したので、ご参考まで。

ウクライナ語 英語  日本語
здодбунів. zdolbuniv  ズダルブニウ
клевань. krevanyu  クレバーニュ
пучьк. ruchuk  ルーツカ
дьвів lviv  リビブ

また、ズダルブニウ-クレバーニュ間は日本のローカル線のような雰囲気で、切符は列車に乗って車掌から買えばいい。

【早く着くには】
ここを貨物列車が通るのは15時前後。私が行った時は、15:15と15:45 だった。貨物列車と撮りたいなら、もう少し現場に早く着かないといけない。
残念ながら鉄道だと本数が少ないので、ちょっと疲れるがバスで行く方法も紹介しよう。

リビブ市内のはずれにあるAC2というバスターミナルからルーツカというところまで行って、そこからクレバーニュ行バスに乗る。バスは朝早くから小一時間おきにでている。

本数が多いので、鉄道ほど時間にシビアという訳じゃないが、私ががいったときは
7:17 リビブAC2発
10:10 ルーツカ着
10:55 ルーツカ発
11:55 クレバーニュのバス停着

というスケジュールになった。
注意したいのは、クレバーニュのバス停が全部で4つくらいあること。中心となるクレバーニュセンターで降りてしまうと、鉄道駅までかなりの距離を歩く事になる。私は一度ここで下りてしまって、散々迷った挙句、別の駅についてしまった。
バス停の名前がよくわからなかったのだが、クレバーニュセンターから2つ先のバス停だ。時間にして10分程度。

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この図でいうとバス停Bが一番近い。駅までほぼ一本道だ
それでもバス停Bから鉄道駅まで歩くと30分くらいある。二度目に行ったときは、幸いな事にここから鉄道駅まで行くバスがあった。鉄道駅からは前回紹介した通りで、遅くても13:00には現場に到着できる。

帰りは鉄道を利用するとして、こちらもすでに紹介したように16:40まで時間が取れる。因みにズダルブニウからリビブまではセカンドクラスでも簡易寝台なので、バスで帰るよりかなり楽だ(アホキ)
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| 海外鉄道紀行 | 10:07 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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面白い外人と出会った

リビブの宿では、けっこういろんな外人と話ができた。

大抵はどこからきたかとか、どこがよかったとか、他愛もない話が多いのだが、印象的だったのがアメリカ嫌いの二人のアメリカ人。
1人は英語を教えながら世界中を周っているという。この宿に3ヶ月いて住みついているらしい。
これ読んだことあるか、というのでノートpcを覗き込むとシオンのプロトコル。
昔ネットで読んだことがあるが、ユダヤ民族が世界を支配するために作ったというマニュアルで、それ系の人(私もだが)が喜びそうなことが書いてあった。

シオンのプロトコル自体はナチスドイツがユダヤ人を悪者に仕立てるために書かれた偽物の書だという説が有力だ。
また、世界征服などという、仮面ライダーのショッカーみたいな組織が本当にあるのか、もしそれがあったとして長期間そんな組織が維持できるのか、ツッコミどころはたくさんある。
ただ、人間のエグい部分を鋭く観察、指摘していて、いまだに通用するというか、1世紀ぐらい経っているにもかかわらず、ここに書かれているように世の中が動いている気がする。偽物か本物かわからないが、不気味な書である。

この書で印象に残っていたのが、民主主義は実は支配のための手段という部分だ。民主主義は正しいから政治に取り入れる、という当たり前で退屈な話を小学生の頃学んだが、シオンの書ではまったく異なった見方をしていて、へーと思った事がある。

そんな複雑なことを英語でいう能力がないので、とりあえず、この書では民主主義は偽物だとかいてあったという話をしたら、アメリカでは実際メディアを使った支配が行われているという。
アメリカではメディアがブッシュといえばブッシュだし、オバマといえばオバマになる。これってデンジャラス、 今はメディアが民主主義を悪用して、世の中をコントロールしているという。

思っていたことを、直接アメリカ人の口から聞けて一つ裏付けができたという感じだ。民主主義は脆く悪用されやすい。何しろヒトラーを生んだのも民主主義だ。
アメリカは自由と民主主義の総本山として戦後世界中にこれを広げてきた。しかし、今は支配と偽民主主義の国になってしまっていると思う。特に911以降変わってしまった。

もちろん日本でも状況は同じと答える。テレビを投げ捨てちゃった知り合いがいる(イノテツさんのことですが)と答えたら笑って、That smartと言っていた。

もう1人アメリカ人もアメリカが嫌いとのこと。職業はプログラマーで、ネットでプログラムやWeb制作の仕事を引き受けるという。出力もネットなのでどこでも仕事ができる。ウクライナは物価が安いので、こういう仕事のやり方は賢いというか、羨ましいというか、つくづくネットの時代なんだなーと思った。

彼によると、今のアメリカをおかしくしたのは銀行システムとのこと。といっても中小の銀行ではなくて巨大銀行とそれをコントロールするFRBやECB、さらにそれらの上にあるBISだという。
また、アメリカでは10万円とか、1億円くらいを盗むと捕まるが、1000億円盗むと捕まらないのだそうだ。
人々はこのおかしなシステムに気づき始めていて、数年のうちに大きな変化があって、ペーパーマネーは価値を失うだろうとのこと。

正直、私もアメリカ人は好きだがアメリカの政府や巨大メディアは嫌いだ。考えてみたら、それは日本についても同じ。この宿はお国の体制が嫌いな人間を引き付けるらしい。 (アホキ)

| 海外鉄道紀行 | 01:39 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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世界遺産の街リビブ

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リビブはウクライナの西にあり石畳が綺麗な街だ。中世の時代に建てた教会をはじめ、街の一部が世界遺産に指定されている。

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美しい石畳の上を路面電車が走る

緯度はキエフとそれほど変わらないが、すこし暖かい気がする。空気もキエフよりは綺麗だし、英語がしゃべれる人もキエフより多い。

ウクライナは国内に微妙な対立があり、ざっくりいって東側がロシア派、西側がユーロ派だという。リビブは西側の中心都市で、ユーロ派だ。

ロシアに対する反骨精神みたいなものがあるのか、西側諸国の人間は歓迎ムードがあるように感じた。英語で話しかけた時、キエフやオデッサあたりだと、なにいってんだこのやろ的な視線を感じるのに対して、ここはにこやかに応えてくれるというか、少なくとも話しを聞こうじゃないか的な雰囲気がある。

宿のオーナーはオーストラリア人。インテリア的にソ連時代の雰囲気を出したかったそうで、昔のラジオ、タイプライター、さらにはマシンガン、軍服、防毒マスクなんかが飾ってあったりする。レーニンの肖像画もあるのだが、目のところに黒い線が引いてあって、茶目っ気というか少し反骨精神のある人のように思えた。

【宿は安値更新】
リビブでの宿は3日で225グリブナだから一泊800円くらいだ。しかも朝飯付き。さらにオフシーズンということもあり4人部屋をほぼ一人で独占。居心地が良く、3日3日と延長するうち、20日間も滞在してしまった。

ただ一点、この愛すべき街に苦言を呈すると、クルマだ。狭い道にいっぱいのクルマで、歩道にも駐車してあるので歩きにくい。運転マナーは南部ほどではないものの、あまりよろしくない。

逆にバスに乗ると石畳というのは最悪で、ガタゴト細かい振動が骨に響く。それでも石畳にこだわりあるのか、あるいは世界遺産との関係か、中心部の道路はアスファルトでなく石畳。新しく改修された道も石畳が敷かれている。

朝早く街を歩くと、おばさんたちがもくもくと街を掃除している。ここの人は職人気質があるというのか、気難しいところもあるが、手を抜かずきっちりやるという点で日本人との親和性が高い気がした。
街行く人の表情を見ていると、少し疲れているのだけれども、眼には希望が宿った、いい顔をしている。わたしが子供の頃みた大人たちの顔というのか、そんな懐かしさを感じる街だ。(アホキ)

| 海外鉄道紀行 | 15:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ヤルタといえばヤルタ会談だが

ヤルタ会談の行われたリバーディア宮殿に行ってみた。海沿いの斜面にある空気の澄んだところで、気持ちがいい。こういう場所なら難しい話もまとまりやすいだろう。

リバーディア宮殿自体はロマノフ王朝の時代に建てられたものなので、中はそっちの展示物のほうが多い。

まあ、ヤルタ会談といっても何日か集って会議に使っただけなので、展示するようなものはあまりないのだろう、展示物はほとんどがロマノフ王朝の時代のものだった。


ヤルタ会談で検索すると、意外なページが出て来る。私ら古い日本人はヤルタ体制こそが正しい戦後の仕組みと習ったが実はそうでもないらしい。

秘密会談だったという説もけっこうある。いずれにしても勝手に英米ソ連で戦後体制を決めたのは事実で、今では当のアメリカ自身がヤルタ協定を無効なもの、ルーズベルトの個人的なものとして批判している。

そもそもヤルタ体制とは、第二次対戦を終了させたい米英がソ連に参戦を促し、代償として北方領土所有を認めるというものだ。

それが無効となれば、すなわちロシアの北方領土所有には根拠がないということになると思うのだが。(アホキ)

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以下wilipediaより引用
なお、1956年に共和党アイゼンハワー政権は「(ソ連による北方領土占有を含む)ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米国政府の公式文書ではなく無効である」との米国務省公式声明を発出している。

| 海外鉄道紀行 | 15:44 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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世界一長いトロリーバス

ちょっとシリアスな話が続いたので、軽い話題を。ヤルタからシンフェロポリまで世界一長いトロリーバスが走っているという。全行程80km、2時間半、料金 120円くらい。乗らねばならない。

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地図でみるとシンフェロポリーヤルタは近いのだが、それなりに距離がある

車はボロボロかと思いきや、低床式の新車も投入されている。加速時スィーンスィーンと最近の電車と同じ音がするのでVVVF制御だろう。
また車高から考えてタイヤはダイレクトドライブと見た。バスにしてはかなり低い床を実現している。発停車も滑らかだ。


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LRTのような低い床。プラットホームを作れず、また急発進急停車の多い
トロリーバスのような乗り物にこそVVVFやダイレクトドライブは向いている


もちろん 古いタイプの高床式トロリーバスも頑張って走っているが、長時間になると、やはり新しい車のほうが楽だ。

【クリミア半島】
クリミア半島といえばクリミア戦争で有名だ。戦争と平和を書いたトルストイ がこの戦争に参加していたり、トロイの遺跡を発掘したシュリーマンはこの戦争で物資を調達して大儲けしている。ナイチンゲールの献身的な働きもこの戦争での出来事だ。みんなネットで知ったのだが、、、

幕末に列強のうちアメリカだけしか日本に開港を迫ってこなかったのもこの戦争のおかげという。英仏伊、ロシアなどの他の列強はクリミア戦争で日本まで手が回らなかったからだ。もしこの戦争がなかったら、列強は取れるところから日本を侵食して虫食い状態になっていたかもしれない。

密航を企てた吉田松蔭の話も面白い。乗り込もうとしていたロシアの軍艦が出航してしまい、最初の密航に失敗したという。クリミア戦争勃発のため敵国となった英国に攻撃されるのを恐れたロシアの軍艦が、日本を離れてしまったのだ。もしクリミア戦争がなければ、松蔭の密航計画は成功していたかもしれない。

ネットで調べてみると、けっこういろんなことがこの戦争につながっていてワクワクするので、もう少し書いてしまう。

そもそもどんな戦争だったのか?
クリミア地方を治めていたオスマントルコ帝国の弱体化がすべての原因らしい。その隙を狙ってロシアが攻撃を開始。いわゆるロシアの南下政策というやつだ。その勢力拡大を止めたい英仏伊がオスマントルコを応援し、1対4の戦いとなったという。

そんな歴史を抱えつつ、世界一長いトロリーバスはクリミア半島の海沿いをゆっくり走る。断崖絶壁とまではいかないが、丘陵地帯の高いところに道がある。眼下に海や街が見えたり、海の向こうに島影が見えたりで景色がいい。このコースはあまり紹介される事が少ないと思うのだが、おすすめだ。(アホキ)

| 海外鉄道紀行 | 13:36 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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