きまぐれ 鉄道日和

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ススキが揺れるホーム〜鹿島鉄道・桃浦駅2014

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実家の庭に柿の木がある。庭のシンボルツリーである。後先考えずに枝が伸びる。人の手を加えないと自重で折れるんだそうだ。枝落としは父がやってきたが、今は私がやるしかない。体の弱い母にやらせるわけにはいかないわけだが、私も負けずに虚弱であり、一通り作業を終えるとヘトヘトだ_ノ乙(、ン、)_ 今年は、大した台風も来なかったせいか、たくさん実がなった。見た目は市販のものと何ら遜色ない立派な甘柿だし、実際旨い(ただし種はある)。もともと、母方の祖父がくれた苗木だった。祖父は奈良出身の僧侶であり、柿が好物だった。母もその影響なのか、「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句が妙に好きだと言う。

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実家に帰ると、母とともにドライブに出かける。もっとも、私の運転がへたくそなこともあり、茨城県内を出ることはほとんどない('A`) 今回も、霞ヶ浦方面へのドライブだった。

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霞ヶ浦湖岸にある、鹿島鉄道・桃浦駅。美しい景色に変わりはなかった。こうして見ると、ブタクサもきれいなものだ。若い頃、ブタクサを採ってきていけたら大家さんに嗤われ、代わりに菊をもらったと母が語った。

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桃浦駅に列車が来なくなって7年が過ぎた。レールは剥がされたが、駅舎とホームは現在も遺されている。沿線では、「関東の駅100選」の1つだった終点・鉾田駅に並んで人気のある駅だった。残念ながら廃止前のこの駅で下りたことはなく、訪れたのは今回が初めてだった。

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もとより旅客輸送は芳しくなかった。航空自衛隊・百里基地への燃料輸送と、親会社である関東鉄道からの支援によって存続してきたのだが、その両方を失ってから廃止への動きは早かった。ひたちなか海浜鉄道と違って沿線自治体が複数に跨がったことも、三セク設立を妨げた。茨城県内では最も美しい沿線風景を誇る路線だったが、美しいだけでは鉄路は保てないのだった。

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駅が好きな母は、この景色に感激したようだった。線路がないのは残念だけど、風情があると。母はホームに揺れるススキを2本採り、帰宅後、玄関にいけた。玄関の雰囲気が一気に秋になった。単なるススキではない。桃浦のススキだ。風情のみならず寂寥感までが玄関に持ち込まれたように私には見えた。

基本的にレールは剥がされているが、踏切部分は遺されており、かつてここに鉄道があったことを伝えてくれる。
鉄道が廃止された後、沿線の人はどうやって移動してるのかと母が問うた。基本的には並行する国道355号線に代替バスが走っている。また、廃止された線路の一部は、アスファルトで埋めてバス専用の道になってるんだぜと蘊蓄を垂れておいた。「BRT」みたいなめんどくさい言葉は避けておくのが、非鉄ヲタへの気遣いというものである。一方で、代替バスになっても、かつて駅だったバス停では「小川駅」とか「玉造駅」のように、今でも駅と名乗ってるんだぜ、みたいな話しはした。そういう話は、それなりに興味深いでしょ? |∀・)

震災を経て、大船渡線や気仙沼線がBRTとなったが、BRTの先駆けとして、また同じく被災地の路線として、鹿島鉄道が参考になったであろうことは想像に難くない。震災によって、鹿島鉄道線の遺構は大きなダメージを受けている。仮に平成19(2007)年の廃止を逃れたとしても、震災を乗り越えることはできなかっただろう。あの時点での廃止が、傷口を広げない選択としては悪くなかったのかもしれないと、今は思う。…と、いろいろありつつも、往時の姿をとどめている桃浦駅は、ある意味奇跡なのかもしれない。

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帰宅する前に、国道6号に乗る途中で高浜に寄った。恋瀬川は霞ヶ浦に注ぐ川である。ここは河口付近。鉄橋で渡る常磐線の列車を見ることができた。やっぱり、鉄道は生きているのが一番だ。(イノテツ)
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| 廃線、廃駅…時間旅行 | 17:23 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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追憶・岩泉線(2.平成9年1月)

仕事への感謝。これを忘れたゆえに、喝を入れられていたここ数年ではなかったか。分かりました、分かりましたのでもうお許しください。口先だけの懺悔など聞きたくもないわバーン(←鞭を打つ音)。ひいいっ…というような見えざる神様とのやりとりを繰り返してきたように思う。
「感謝」なんていう言葉は軽はずみに連呼するものではないと思うが、一つひとつの仕事にそういう気持ちを込めて、丁寧にこなしていく。そんなんで徹夜の連続になるわけだが、結果、本が売れたりすれば、何より嬉しいことだ(祝・3刷)。

今、『智恵子抄』関係の本の仕事をしていて、これを契機に高村智恵子のことに興味をもった。これまでは、発狂して旦那の詩集のネタになった人くらいの認識だったが、彼女自身の才能や、晩年、病みながらも旦那に褒められたいがために続けたという紙絵の数々に息をのんだ。狂うのとピュアになるのは似ているのかもしれない。人は誰も、褒められたいと思って生きている。

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初めて岩泉線を訪れた私は、その魅力に惹かれて、翌年の冬に再訪した。1月だから、最も寒い時期だ。
岩泉線を味わうには、現地での前夜泊が必要だ。当時の私は金がなく(今はもっとないが)、旅先で宿を取るという発想がなかった(今もないが)。すると、自ずと駅で寝ることになるわけだが(STBと呼ばれる)、特に初めて来たところだと下車駅の選定は賭けだ。有人駅は締め出される可能性があるから除外するとして、無人駅にしても暴走族のたまり場になっていたり、お化けが出るところもある(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

ここ、山田線の花原市駅でそういうのに遭遇することはなかったが、吹きさらしの待合所しかなく、底抜けに寒かった。当然寝られるわけもなく、実質、朝になるのを待っているだけだった。STB的には失敗だ。
朝、茂市へ移動し岩泉線へ。

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前回まともな写真を撮っていなかった岩手和井内駅の駅舎である。繰り返しになるが、現存しない。現在は小さい駅舎に建て替わっているのだが、周囲の整備もあり、当時の雰囲気は失われてしまったようだ。

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駅舎の中の写真は、また例によってこんなのしか残っていない('A`) まあ私の場合、普通の記念写真というよりは、通行人Aを演じるのが好きだった。そこがまた一層うざい。

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この写真も、今思えば残念だ。列車の停車中に中里方面へ移動しておけば走行写真が撮れただろうに、そんな発想は全くなかった。しかも、これをもって岩泉線での撮影は終了している。当時はフィルム時代で、フィルムを惜しんで撮り控えていた部分もあった。

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これは後年、デジカメに持ち替えて宮古駅で撮った写真だ。キハ52の1両が国鉄色に戻されている。この車両には「宮古⇔岩泉」のサボがささっており、岩泉線用だったことが分かった。デジタル時代に入り、このときも比較的たくさん撮った気がするのだが、今度はファイル管理が糞で、かなりの部分が散逸してしまった('A`) 震災前の記録でもあり、もっと大事に管理しとくべきだった。(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 08:19 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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追憶・岩泉線(1.平成8年3月)

ついにJR東日本から、岩泉線廃止の意向が発表された。
とっくに鉄道としての役目を終えていた超ローカル線だが、並行道路が未整備という理由で存続してきた。だが、結局は自然災害による運休、そのまま廃止という、ローカル線にありがちな道を辿ることになった。
岩泉線の運休は震災とは関係ないが、周辺の各線がBRTという名の廃止の動きの中にあり、どさくさに紛れることができる。JRにしてみれば「チャンス」だったのではとも囁かれている。

岩泉線の魅力は、人影の稀な山間の沿線風景と、そこを力走するキハ52にあった。キハが国鉄色に戻されてからはむしろ足が遠のいたが、それ以前に2回ここを訪れた。この機会に追憶してみたい。
なお、フィルムの保存の仕方がまずかったのか、実際の年代以上の古写真っぷりだが、ご了承ください。こりゃ、フィルムスキャンを急いだ方がいいな('A`)

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岩泉線は、山田線の茂市から分岐して岩泉に至る38.4kmの盲腸線である。三陸鉄道の小本までつながる計画があり、当初は小本線と呼ばれていた。茂市の駅舎は現在でもこの渋さを保っているが、国鉄時代の駅名看板が残っていた当時の方が、やはり味わいがあった。

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岩泉線の列車が入線してきた。超ローカル線ながら、1番線を使用する。写真右下に0キロポスト、左に「浅内 岩泉 龍泉洞方面」の標識が見える。龍泉洞は地底湖の美しい名勝で、岩泉駅からバスに乗り換える。

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全線を通す列車は1日3往復。途中下車には相当の根性が要るが、幸い、途中の岩手和井内駅までの区間運転が1往復あり、これを利用することで、意外と気楽に途中下車ができるのだった。

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当時は撮り鉄に手を染めておらず、自分が入った記念写真が殆どだった。また私には鉄道以外にフォークソングという重要な趣味があり、この頃は、旅行にもギターを欠かさず持ち歩いていた。鉄道を背景にギターを弾いている写真が実に多い。今にしてみるとうざい限りだ('A`)
岩手和井内のこの駅舎は後年撤去されたので、今にしてみれば貴重な写真で、それだけにもっと真面目に撮っておけばと悔やまれる。

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終点・岩泉。先述の通り小本へ延伸する計画だったので、構造は途中駅である。立派な駅舎を構えているのだが、列車は1日3回しか来ない…いや、来なかった、という方が正確なのか。
破滅的なダイヤ故、ふらりと立ち寄れるようなところではない。それだけにローカル線が好きな私は、この線がすぐに好きになった。岩泉から返す列車は宮古まで直通した。高校生の乗車で、それなりに賑わっていたのを覚えている。(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 20:10 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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さよなら関東鉄道350形

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どれ、今日は酒の話から始めますかね…鉄道ブログぢゃなかったのかよ('A`)
私が酒飲みであることは、すでに再三晒してきた。だが、散々飲んでいるのに、詳しいわけではない。で、最近ようやく知ったのだ。焼酎甲類は素敵だと♪
そもそも、焼酎は苦手だった。友人が好きだったのだが、それは焼酎乙類、名前からすると甲類より劣るように思えるが、そうではない。乙類の方が素材の香りが活きている、いわゆる本格焼酎…故に臭い。この臭さは好みの分かれるところで、友人は臭いほどいいと言うのだが、私などは、これですっかり苦手意識を持ってしまっていた。
だが、日ごとに深まる困窮の中、酒代も倹約しなければならなくなった(←飲むことそのものをやめたらよくね?)。で、手を出したのが、それまで安酒と馬鹿にしていた焼酎甲類なのだ。今にして思えば、知りもしないで馬鹿にしていた私こそ馬鹿だった。こんなに楽しい酒は他にねえって♪ ぶっちゃけ、甲類と乙類の違いも、今回初めて知ったわけだが |∀・)
甲類は、連続して蒸留することでアルコールの純度を高めている。安いのは、大量生産できるからだ。その過程で素材の香りが失せるので、限りなくエタノール水溶液に近い。だが逆に、好きなものを混ぜることで、味のバリエーションが楽しめるわけだ。上の写真では炭酸と黒酢を入れてみたが、見た目すげえリッチそうで、実際にも爽やかな飲み口で旨い。別に黒酢である必要はなく、100均で売ってる酢でいいんだし、ここにレモン汁なんか加えると、フルーティーな要素が加わって面白い味になる。

一方、傍らのつまみは、オクラをレンジでチンしただけのもの。ポン酢とか昆布茶とか、好きなものをかけるといい。軽く塩を振るだけでも旨いよ。ヘルシーかつリーズナブルな酒飲み生活を楽しもう。
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なんてことで、グレープフルーツハイを飲みながら書いてたら酔いが回って寝てしまい、うpが遅れるという末路を辿るのだった_ノ乙(、ン、)_

関東鉄道のキハ350形が引退することは知っていた。かつて沿線に住んでいた者として、最後を見送りたい気持ちはあったが、やはり葬式鉄は苦手で、ラストランは見送ってしまった。
最後まで残ったのは、キハ358-3511編成だった。つまり、これだ。

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なーんだ、やっぱり撮りに行ってたんじゃんと思われたかもしれないが、この写真は、私がまだ茨城の田舎に住んでいた平成7(1995)年に撮ったもの。当然フィルム写真だ。思えば、私が撮った鉄道写真では最も古い部類だと思う。私の引きの強さは時空を超えていたのか |∀・)
キハ350は、元国鉄キハ35だ。関鉄に残っているのが最後だったので、これをもって名実共に形式消滅だ。久留里線に残っているキハ30は仲間だが、運転台が両側に付いているか否かの違いがあり、片運転台のキハ350は単行での運転ができない。最近では取手口にまで単行の列車が入ってくる状況で、最新の5000形も両運転台車だ。2両固定編成の旧型車から先に引退していくのは流れなのだろう。

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TXの影響をもろに受けて乗客が減る中、ワンマン化や減車で運行本数を確保、あるいは増便すらして対応している関鉄は立派だ。とはいえ、4両、5両つないで走っていた時代を知っている者にしてみれば、やっぱり寂しい。
さて、この写真も同じ年の秋に撮ったもので、寺原~新取手間だったと思う。取手は大きく変わった。現在でもこの景色が残っているかどうかは、ちょっと分からない。

というわけで今回は、私の撮り鉄の起源がこの頃だったことが判明した。けっこう時間が経っているというのに、一向に上手くならないのはどういうわけだ('A`) まあ最近まで、自分も入って撮る駅でのスナップ写真がほとんどだったんだから無理もないかな。精進します。(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 14:35 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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変わりゆく東急東横線(2)

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今年も来ましたねボジョレー・ヌーヴォーの解禁日。さっそく賞味しているわけだが、ぶっちゃけ、私はワインの味とかいわれてもよく分からない。加えてクリスマスだのお化けカボチャだの、欧米文化にのせられた商売には虫酸が走る。だがまあ何にしろ、酒が飲める風物詩なので、これにだけは乗らせていただきます。今年のヌーヴォーもおいしいよ |∀・)

さて前回は、中華街で職質された話で終わっていた('A`)
警官に元町・中華街駅まで案内された。はよ去れや不審者めという空気を濃厚に醸しながら背中を押された。極めて不快だった。だいたい、ここにみなとみらい線がなきゃ来やしなかったのに…と帰りの車中でふてくされていると、以前の東横線のことが思い出された。

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東急東横線は、2004(平成16)年に開業したみなとみらい線と直通運転を始めた。その際、末端部の横浜~桜木町間が廃止されたのだ。発展的解消といえるのだろうが廃止には違いなく、当時は大いに話題になった。大手私鉄の、しかも都会での廃止は珍しい。この写真は桜木町駅で撮ったもので、右側の線路はJR京浜東北線である。8000系も先頃引退して多くのファンを集めた。もうすでに懐かしく見える。

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撮り鉄に手を染める以前の写真だが、まあ割と見られるのでアップしてみた |∀・) だがやはり撮影に興味がなかったらしく、この日の写真は、これら合わせて3枚しか残っていない。駅舎とか駅名標とか、他にもっと被写体はあったろうよ('A`)

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当時、東急の主要駅では硬券入場券を扱っており、各駅ともD型硬券だった。渋谷でもかなり遅くまで残っていたが、現在はもうない。蒐集鉄の私としては残念でならない。
その駅に来訪した記念にするのに、入場券は最適だ。特に、その後廃止されてしまった路線や駅の入場券は、思い出がよみがえって目頭が熱くなる。深名線の朱鞠内駅とか、名鉄の美濃駅とか、硬券を見ると当時のことが鮮明に思い出される。

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これが現在の東横線・渋谷駅である。いたって普通の写真だが、じきに過去のものとなる。いつぞや、副都心線の渋谷駅は未完成なんだじぇ、という記事を書いたが、あの渋谷駅、実は新しい東横線の渋谷駅なのである。2012(平成24)年には両線がこの地下駅で結ばれて直通運転を始める。ここに、愛すべき頭端駅がまたひとつ消えるわけだ。この日も、カメラを向ける人が散見できた。地下鉄でもないのに地下を走るのは勘弁してくれ。鉄道ファンの本音ではないだろうか。騒がしくなる前に撮っておいた方がいいと思う。(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 01:58 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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