きまぐれ 鉄道日和

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廃止から30年、筑波鉄道の面影を訪ねる

昭和憲法の施行から70年が経過した。70年間一字一句変わることがなかったが、進む世界の現実に対応するため、「解釈改憲」を繰り返してきた。先ごろの安保法制などはその最たるもので、こういうことを繰り返していると憲法の権威は骨抜きになってしまう。あってはならないことだ。
高校時代、友人と「自衛隊は合憲か違憲か」という議論をした。相手は自衛官の息子だったが、「9条がある限り、明らかに違憲だろ」と私は言い放った。私は転向組で、もともとは左翼だったことをここに告白する |∀・)
「9条がある限り自衛隊は違憲」。実は今もそう思っている。9条を素直に読めば、自衛隊のみならず、警察も海保も、あらゆる実力組織が違憲だ。現実問題としておかしいのはむしろ9条の存在なのだと、その後気づいたのだった。
さて、9条は2項で成り立っているわけだが、第1項では有名な「戦争放棄」を謳っている。これは侵略戦争のことをいっているのであり、維持されるべきだ。問題は第2項で、ここで交戦権すら否定している。攻撃されたらされるまま滅べというのだ。生存権も財産権もガン無視。2項が狂っていると私が思う所以である。
この第2項の削除を求める声は多いが、まだ難しいだろう。そこで今回、安倍首相は第2項を削除せず、自衛隊の存在を書き加えることを提案した。「第3項」である。明らかに第2項と矛盾するのだが、「加憲」のみを是とする連立相手の公明党もこれなら呑める。個人的には大いに不満だが、今や自衛隊の存在そのものを否定する人は稀だから、国民投票にかけても過半数を得られるだろう。また、「第3項」の追加により、第2項のニュアンスが若干変わることにも期待ができる。まずはこの方向での改正を目指すのも一案だと思う。

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GWで茨城の実家に帰った私は、母とともにドライブに出かけた。もっとも、体の弱い母の体調を考えればそう遠出はできず、筑波山系雨引山の中腹にある雨引観音にお参りすることにした。そこに筑波鉄道筑波線の廃線跡探訪を絡めようという企画である。
筑波線の廃線跡は全線にわたって「つくばりんりんロード」という自転車道に生まれ変わっている。正式には「茨城県道505号(桜川土浦潮来自転車道線)」といい、れっきとした県道である。再編により、平成28(2016)年からこの番号、名称に改められた。
画像は旧常陸北条〜旧筑波駅間の踏切跡。鉄道現役時代は当然列車が優先だったわけだが、現在では「止まれ」と大きくペイントされている。
なお、この旧筑波駅と現存するTXのつくば駅は全く無関係。旧筑波駅は筑波山口と改名し、バスターミナルとして機能している。

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雨引山の麓にある雨引駅跡。現在は休憩所となっている。ホームが残され、線路だった道路を自転車が過ぎていく。鉄ヲタの目には寂しい光景に映るが、なだらかなカーブが続き、大きな勾配もない廃線跡の道は、自転車を走らせるには実に快適なコースに違いない。
さて、ホーム上に駅名標っぽいものが立っているが、これはあくまでも駅名標っぽい案内板で当時のものではない。廃止から今年でちょうど30年。さすがに本物は残ってないのか。

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こんなところにあった。近隣にある雨引小学校の前庭だ。オサーン一人で小学校の敷地なんかに入ったら即セコムされてしまう窮屈な昨今だが、さすがに田舎はおおらかだ。それに、佇まいの渋さに惹かれて先に入っていったのは母なので私は悪くない |∀・) 隣の絵は、在りし日の筑波線を描いた卒業制作だろう。いずれもすっかり古びてしまっていて、時の流れを見せつけられた。

軽自動車はエンジンを唸らせて急坂を登り、雨引観音山門前の駐車場に着いた。長い石段に、新緑を透けて落ちる木漏れ日が揺れていた。だが悲しいことに、母はこの石段を登りきることができなかった。心臓と膝がだいぶ悪くなっているのだ。親の衰えを目の当たりにするのは辛いものだ。母は途中のベンチで休むことにし、私だけが本堂まで行き、賽銭を投げた。

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岩瀬駅は雨引駅の隣で、筑波線の終点だった。JR水戸線との接続駅だったので、駅そのものは現存している。母は幼少時から駅が好きだったようで、岩瀬駅の雰囲気も気に入ったようだった。まあ駅舎が北向きのため、撮影しようにも終日逆光なのが大変悔やまれるわけだが('A`)
さて、画像の左に赤と青の大きな袋が見えるのに今気づいた。サイクリングを終えた人が、自転車を分解し、輪行袋に収めたところだろう。つくばりんりんロードは当然岩瀬で終点となるので、ここで列車に乗り、帰途に就くのだろう。
そう、自転車と列車の旅を絡める場合、こうして輪行という方法をとるのが原則だ。私も若い頃やってたが、正直めんどくさい。めんどくさいので社会人になったらやってられなくなってしまったが、ここのところは自転車をそのまま持ち込める鉄道路線が、地方私鉄を中心に増えてきた。そんな中、JRの千葉支社が房総ローカル区間でそれを導入すると発表したのは朗報なのではないか。特に内房線なんかは乗客が激減し先細り一直線なので、こうして新しい鉄道の利用法を提案していくことは大事だわな。

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引き返して実家に戻る帰路、最後の目的地として訪れたのがここ、真壁駅跡だった。単式ホームと島式ホーム、2面3線の構造がよく残っていた。手前の階段は構内踏切で、両ホームを行き来するのに使用したものだろう。廃止から30年。これを長いと見るのか短いと見るのか、なんだか雰囲気はすでに遺跡じみてきている('A`) ホームに覆いかぶさるように伸びているのは桜。鉄道現役当時から駅の象徴みたいなものだったそうだが、列車が来なくなって30年、ここまで大きく生長したのだ。

さて、今回紹介した3駅は、かつての大和村、岩瀬町、真壁町の中心駅だった。この3町村は合併して現在は桜川市というが、恐ろしいことにバス路線がない。筑波線が廃止された当時は当然、代替バスが走り始めたのだが、それすらもやがて廃止されてしまった。確かに岩瀬の駅前にはバスターミナルらしき構造が整備されていたがもぬけの殻だった。究極にまで進んだ車社会が、このようにいびつな交通体系を作り上げてしまったのだ。ツケを払う時期は近かろうな…ハンドルを握り薄暮の道を行きながら、私はそんなことを考えていた。病巣は深い。(イノテツ)
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| 廃線、廃駅…時間旅行 | 22:34 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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久々に乗った鉄道文化むらトロッコ

実家のかーちゃんはトランプ米大統領が嫌いだ。一方で前任のオバマ氏への評価は高いようだ。中東から軍を引き、これという戦争を起こさなかったオバマ氏を支持する人は確かに多い。
だがそれは単に事なかれ主義で問題を先送りにしただけに過ぎないんじゃないかと私は思う。多くの場合、先送りにした問題は増幅し、後の時代に大きなツケを残す。オバマ氏の政策はIS(イスラム国)の台頭を招いて中東を混迷させた。多くの人が死に、大量のシリア難民を生んだ。南シナ海では中国の軍事基地建設に手を打てなかった。いずれも周辺各国を圧迫する結果となった。
そして北朝鮮には「戦略的忍耐」と称して時間的猶予を与えることで核・ミサイルの開発を進めさせ、深刻な脅威を作り上げてしまった。例えばこれが5年前なら、日本は具体的な脅威にさらされないで済んだ。耳当たりの良い「平和主義」の多くが、実は無責任な綺麗事でしかないことを、我々はいい加減で認識しないとならない。こうなる前に手を打っておくべきだったのだ。
もちろん、米国だけの責任ではない。日本の対応も全く後手に回ってしまった。この事態に憲法改正もテロ等準備罪もスパイ防止法も間に合わなかった。刃物を振りかざす基地外相手に、日本は丸腰で対峙しなければならない。これで人的物的犠牲が出たとしたら誰が責任を取るのか。
米中の圧力により、今日の核実験は回避されたようだ。だがこれも問題の先送りに過ぎず、何の解決にもなっていない。トランプ大統領は確かにやばいおっさんだが、もはや彼に託すしかない。また日本には、彼が信頼する安倍首相がいる。前回の朝鮮戦争と違うのは、「北朝鮮を抑えたい」という一点で米中が一致していることと、日本が影響力を行使できることだ。最も穏便な解決法は、金正恩委員長に亡命してもらうこと。可能性は低いだろうが、各国が協力して、何とかそういう方向に持っていってほしい。

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廃線にトロッコ列車を走らせ、観光路線として活用している例はいくつかある。嵯峨野観光鉄道は山陰本線の旧線を活用したもので、れっきとした普通鉄道だ。平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線は貨物線跡を復活させたもので、観光に特化した特定目的鉄道になっている。
一方、ここ、碓氷峠鉄道文化むらのトロッコは信越本線の廃線を活用したものであるが法的には鉄道ではなく、文化むら園内の遊戯施設という扱いに甘んじている。ゆくゆくは軽井沢までを復活させ、特定目的鉄道に昇格させたいというのが文化むらの目標だが、大人の事情で構想は遅々として進まない('A`)

列車は峠の坂道をゴロゴロと登っていく。機関車は前回訪問時のものが老朽化でぶっ壊れたそうで、新しいものに代わっていた。機関車は客車の後ろに連結されているので、機関士はモニタを見て運転している。モニタが横を向いているので機関士も横を向いて座っており、なんか不安だ。

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運行区間は「とうげのゆ」駅までのわずか2.6km。駅はこの分岐を左に分けた旧線にあり、右側の新線は軽井沢までの復活をひたすら待ち続けている。

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唯一の途中駅である「まるやま」駅は通過扱いだとWikipediaにあったが止まりましたがな(「とうげのゆ」行きのみ)。数分の停車時間があり、国の重文である丸山変電所跡を、慌ただしくも見学することができた。

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「とうげのゆ」駅まで乗り通すと、上り線跡の遊歩道を歩いて文化むら方面へ戻るのだった。その間に、当然列車が返してくる。とっても遅いのでiPhoneでも充分撮影可能。「撮り鉄対象としては最もちょろいので撮ってみませんか」。半ば強引に他のメンバーを引き込んでしまった |∀・)

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峠の釜飯を園内の静態保存車両の中で食おうぜという企画だったのだが売ってなかった('A`) そこでおぎのや横川店に移動、ここでミニラーメンとのセットを頼んだ。団体客などで大変な賑わいながら、メインメニューはすでに作り置いてあるわけで提供も回転も恐るべき早さだった。横川駅前にある本店のような渋さがないのが残念だが、車で来た場合にはこっちを選ぶしかあるまい。さりげなくラーメンがうまく、むしろ釜飯よりラーメンだけをがっつり食うという選択肢もあると思った。
本来横川駅の駅弁であったはずの峠の釜飯が、こうした鉄分皆無の場所で売られてることには、鉄ヲタ的に違和感というか寂しさみたいなものがある。釜の側面には昔と変わらず「横川駅」と書いてあるが、駅がすっかり寂れた今、それはそれでどことなく白々しくも見えてしまうのだった。(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 18:31 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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アプトの道を歩く〜信越本線旧線

好きな作家は誰ですか? というと、筒井康隆を挙げなければならない |∀・) 高校受験のとき、某名門私立を受けるには面接が必要だというので中学でシミュレーションをしたのだが、好きな作家が筒井康隆では高尚じゃないとか教師に言われて、仕方なく夏目漱石ということにした記憶がある。私は生来頑固なので結局この私立には合格したが行かず、地元の県立を選んだ。若気の至りだったと今は思うが('A`) 当時の私は他の教科の成績がどんなに落ちても国語だけは常に5で、それというのも筒井康隆を始めとする文庫本を読みふけってたおかげだと信じて疑わない。思えばあの時代におけるラノベのようなもので死んだ親父も煙たい顔をしていたが、そもそもその親父の本棚にあった星新一の『ボッコちゃん』が読書の入り口だった。
さて、その筒井康隆が韓国で叩かれている。例の反日慰安婦像を揶揄した発言をしたからだ。その内容は全く下品な表現であり、ここで書くのもはばかられるので各自調べてね |∀・)
『時をかける少女』しか知らないような層は「あの筒井康隆がこんな下品なことを!」と衝撃を受けたらしい。韓国での『時をかける少女』の版元は絶版を決めたらしいが、浅い、全く浅いわw 文化っつうのはアングラの、さらに掃き溜めみたいなところに濃厚な味わいがあるものだ。そうだな、とりあえずは『俗物図鑑』とか読んでみたらいいんじゃないか。
精神的不条理の否定は思考の自由を束縛し、文化を萎縮させる。筒井の作品が教科書に載ろうとしたとき、差別表現があるとして叩かれ、それに反発して断筆宣言をしたのは私が大学生の頃だった。今回の慰安婦像揶揄も同じ発想によるものだろう。イデオロギーが先走り、違う意見や表現を許さない空気を作り出す勢力が常にある。非常に恐ろしいことだと、こういうことがあるたびに思う。

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先日雪山に突っ込んだ話をしたのだが、軽井沢で一泊した翌日は碓氷峠から旧信越本線跡を辿るという、途端に鉄分充満の行程となった。明らかに鉄ヲタの私にリーダーが配慮されたものだろう。
リーダーの車で横川へ向かった。国道18号は急カーブの連続でぼちぼちおえっとなってきた頃、画像の場所に着いた。アプトの道については以前雑誌にも書いたことがあるが、その後、遊歩道が旧熊ノ平駅まで伸びてからは初めての訪問となった。

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旧熊ノ平駅はこんな風。私より上の世代でも、横軽に中間駅があったことを覚えている人は少ないのではないか。この駅が信号場に降格され、列車が止まらなくなったのは昭和41(1966)年のことである。それでも上下線のホームをはじめ、駅の雰囲気が残されている。上下線の間が遊歩道として整備され、歩けるようになっている。線路も架線も残っているが、将来、横軽が復活する際には下り線のみを利用した非電化単線となる予定だ。
「めがね橋までは歩いたことがないんですぅ」と私が言うと、じゃあめがね橋まで車を回してあげるから歩いてみたらとリーダー優しすぎ。こうしてリーダー以外のメンバーはめがね橋までの1.2kmを歩くことができた。

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雪山の話のときにも書いたが、今回はカメラを忘れてきておりiPhoneでの撮影だ。めがね橋までの1.2kmはトンネルの連続であり、撮像素子の小さいiPhoneでは圧倒的に不利だ。他の二人が悠々と眼デジを構えているのを見て無念さ100倍('A`) でもiPhoneでも、明暗がきつい場所でなければ一応は撮れんでもなかったのは幸いだった。

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うをを、かっこいい、渋いとテレテレ歩いていた我々だったが、迎えに来てくれたリーダーと、めがね橋でスムーズに合流できた。なお、3月の時点ではバスが運休中であり、もし車も使えないということであれば、旧中山道の山道を徒歩で突っ切るのが近道になるだろう。ただし相応の脚力が必要であり、凶暴な猿も出るので注意してね。

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ということで碓氷峠鉄道文化むらに到着。ここから、例のトロッコ列車に乗ることになった。楽しみだなあとか言ってるうちに結構長くなっちゃったので、次に引き延ばすことにする |∀・)(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 13:11 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ススキが揺れるホーム〜鹿島鉄道・桃浦駅2014

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実家の庭に柿の木がある。庭のシンボルツリーである。後先考えずに枝が伸びる。人の手を加えないと自重で折れるんだそうだ。枝落としは父がやってきたが、今は私がやるしかない。体の弱い母にやらせるわけにはいかないわけだが、私も負けずに虚弱であり、一通り作業を終えるとヘトヘトだ_ノ乙(、ン、)_ 今年は、大した台風も来なかったせいか、たくさん実がなった。見た目は市販のものと何ら遜色ない立派な甘柿だし、実際旨い(ただし種はある)。もともと、母方の祖父がくれた苗木だった。祖父は奈良出身の僧侶であり、柿が好物だった。母もその影響なのか、「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句が妙に好きだと言う。

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実家に帰ると、母とともにドライブに出かける。もっとも、私の運転がへたくそなこともあり、茨城県内を出ることはほとんどない('A`) 今回も、霞ヶ浦方面へのドライブだった。

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霞ヶ浦湖岸にある、鹿島鉄道・桃浦駅。美しい景色に変わりはなかった。こうして見ると、ブタクサもきれいなものだ。若い頃、ブタクサを採ってきていけたら大家さんに嗤われ、代わりに菊をもらったと母が語った。

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桃浦駅に列車が来なくなって7年が過ぎた。レールは剥がされたが、駅舎とホームは現在も遺されている。沿線では、「関東の駅100選」の1つだった終点・鉾田駅に並んで人気のある駅だった。残念ながら廃止前のこの駅で下りたことはなく、訪れたのは今回が初めてだった。

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もとより旅客輸送は芳しくなかった。航空自衛隊・百里基地への燃料輸送と、親会社である関東鉄道からの支援によって存続してきたのだが、その両方を失ってから廃止への動きは早かった。ひたちなか海浜鉄道と違って沿線自治体が複数に跨がったことも、三セク設立を妨げた。茨城県内では最も美しい沿線風景を誇る路線だったが、美しいだけでは鉄路は保てないのだった。

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駅が好きな母は、この景色に感激したようだった。線路がないのは残念だけど、風情があると。母はホームに揺れるススキを2本採り、帰宅後、玄関にいけた。玄関の雰囲気が一気に秋になった。単なるススキではない。桃浦のススキだ。風情のみならず寂寥感までが玄関に持ち込まれたように私には見えた。

基本的にレールは剥がされているが、踏切部分は遺されており、かつてここに鉄道があったことを伝えてくれる。
鉄道が廃止された後、沿線の人はどうやって移動してるのかと母が問うた。基本的には並行する国道355号線に代替バスが走っている。また、廃止された線路の一部は、アスファルトで埋めてバス専用の道になってるんだぜと蘊蓄を垂れておいた。「BRT」みたいなめんどくさい言葉は避けておくのが、非鉄ヲタへの気遣いというものである。一方で、代替バスになっても、かつて駅だったバス停では「小川駅」とか「玉造駅」のように、今でも駅と名乗ってるんだぜ、みたいな話しはした。そういう話は、それなりに興味深いでしょ? |∀・)

震災を経て、大船渡線や気仙沼線がBRTとなったが、BRTの先駆けとして、また同じく被災地の路線として、鹿島鉄道が参考になったであろうことは想像に難くない。震災によって、鹿島鉄道線の遺構は大きなダメージを受けている。仮に平成19(2007)年の廃止を逃れたとしても、震災を乗り越えることはできなかっただろう。あの時点での廃止が、傷口を広げない選択としては悪くなかったのかもしれないと、今は思う。…と、いろいろありつつも、往時の姿をとどめている桃浦駅は、ある意味奇跡なのかもしれない。

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帰宅する前に、国道6号に乗る途中で高浜に寄った。恋瀬川は霞ヶ浦に注ぐ川である。ここは河口付近。鉄橋で渡る常磐線の列車を見ることができた。やっぱり、鉄道は生きているのが一番だ。(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 17:23 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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追憶・岩泉線(2.平成9年1月)

仕事への感謝。これを忘れたゆえに、喝を入れられていたここ数年ではなかったか。分かりました、分かりましたのでもうお許しください。口先だけの懺悔など聞きたくもないわバーン(←鞭を打つ音)。ひいいっ…というような見えざる神様とのやりとりを繰り返してきたように思う。
「感謝」なんていう言葉は軽はずみに連呼するものではないと思うが、一つひとつの仕事にそういう気持ちを込めて、丁寧にこなしていく。そんなんで徹夜の連続になるわけだが、結果、本が売れたりすれば、何より嬉しいことだ(祝・3刷)。

今、『智恵子抄』関係の本の仕事をしていて、これを契機に高村智恵子のことに興味をもった。これまでは、発狂して旦那の詩集のネタになった人くらいの認識だったが、彼女自身の才能や、晩年、病みながらも旦那に褒められたいがために続けたという紙絵の数々に息をのんだ。狂うのとピュアになるのは似ているのかもしれない。人は誰も、褒められたいと思って生きている。

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初めて岩泉線を訪れた私は、その魅力に惹かれて、翌年の冬に再訪した。1月だから、最も寒い時期だ。
岩泉線を味わうには、現地での前夜泊が必要だ。当時の私は金がなく(今はもっとないが)、旅先で宿を取るという発想がなかった(今もないが)。すると、自ずと駅で寝ることになるわけだが(STBと呼ばれる)、特に初めて来たところだと下車駅の選定は賭けだ。有人駅は締め出される可能性があるから除外するとして、無人駅にしても暴走族のたまり場になっていたり、お化けが出るところもある(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

ここ、山田線の花原市駅でそういうのに遭遇することはなかったが、吹きさらしの待合所しかなく、底抜けに寒かった。当然寝られるわけもなく、実質、朝になるのを待っているだけだった。STB的には失敗だ。
朝、茂市へ移動し岩泉線へ。

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前回まともな写真を撮っていなかった岩手和井内駅の駅舎である。繰り返しになるが、現存しない。現在は小さい駅舎に建て替わっているのだが、周囲の整備もあり、当時の雰囲気は失われてしまったようだ。

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駅舎の中の写真は、また例によってこんなのしか残っていない('A`) まあ私の場合、普通の記念写真というよりは、通行人Aを演じるのが好きだった。そこがまた一層うざい。

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この写真も、今思えば残念だ。列車の停車中に中里方面へ移動しておけば走行写真が撮れただろうに、そんな発想は全くなかった。しかも、これをもって岩泉線での撮影は終了している。当時はフィルム時代で、フィルムを惜しんで撮り控えていた部分もあった。

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これは後年、デジカメに持ち替えて宮古駅で撮った写真だ。キハ52の1両が国鉄色に戻されている。この車両には「宮古⇔岩泉」のサボがささっており、岩泉線用だったことが分かった。デジタル時代に入り、このときも比較的たくさん撮った気がするのだが、今度はファイル管理が糞で、かなりの部分が散逸してしまった('A`) 震災前の記録でもあり、もっと大事に管理しとくべきだった。(イノテツ)

| 廃線、廃駅…時間旅行 | 08:19 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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