きまぐれ 鉄道日和

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震災発生から半年…常磐線終点・久ノ浜へ(2)

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今回、特に胸が詰まる写真目白押しなのだが、これは、日本の国内で今まさに起きている現実だ。東京から日帰りできる場所だ。「死の町」とか口走って辞めた大臣がいた。だが、彼はつい本当のことを言ってしまっただけだ。人の暮らしのない町が「死の町」でなくて何なのか。私はこの光景を見ながらそう思っていた。問題はこれから、それをどう生き返らすことができるかではないのか。
まあなんだ、彼に関しては「放射能をつけてやる」発言が重なっちゃったことでかばう必要もなくなったけどな。

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空も海も澄んでいた。すでに多くのボランティアが来たのだろう、海岸も、思いのほか綺麗だった。なーんだ、清掃用具一式装備してきたのに来るまでもなかったかなと一見して思った。だが、そうでもなかった。清掃しても、後からすぐに新たなゴミが漂着してくるからだ。それを、その度ごとに拾い集めなければならない。
誰もいないが、おそらくここは海水浴場だろう。茨城の阿字ケ浦があの状況だったのだ。人がいないのも無理はない。この海も、実は目に見えないもので汚染されているのかもしれない。だが私は、ここが再び海水浴客の歓声に包まれる日が来ると信じたい。
それには、落ちているゴミが異常だし危険だ。食器やガラス戸の破片、包丁やフォークなど、通常投棄されるゴミではないのだ。極めつけは、かつて写真だったらしい紙片。間違いなく、どっかの被災地から流れてきたものだ。泣けた。ゴミ袋に突っ込むのがためらわれて泣けた。大きな瓦礫はすでに片付けられていたが、そういった震災の遺物がそこらじゅうに落ちていた。
平和は有り難いな。この町に、平和はいつ戻るんだろう。人が戻り、かつての生活が戻るのはいつだろう。ああ無力だ。俺はあまりにも無力すぎる! 天を仰いだ。

だが、花を見つけた。花が咲いていた。

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ここにかつてあった家の庭に植えられていたのだろう。津波を被ったはずだ。

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放射性物質を吸ってくれると期待された向日葵。この後、あまり効果がなかったと報道された。今見ると、残酷すぎる図だ。

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津波と火災に朽ちた車にすら、誰かが花を咲かせていた。同じように、郵便ポストにも咲いていた。人の気配は少なくても間違いなくいて、希望をつなごうとしている。O・ヘンリーの「最後の一葉」を思い出していた。散らない花を、誰かが描いたのだ。

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数時間の作業後、何ら達成感もないまま、疲れて乾いて駅に戻ってきた。駅前の国道6号沿いにセブンイレブンがあったので、飲み物を買った。貧乏なので、地元に落とせた金はこのくらいだった('A`)
ほどなく列車がやってきた。普段はつまらんだの引っ込めだのぶーたれる415系1500番台だが、ぶっ壊れてなく、きちんと動いているものを見るだけで、妙に安心感を覚えるのだった。

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ほとんどの列車はいわき止まりなのだが、この列車は水戸行きだった。やっぱり汗を流していきたいな。次回が風呂ネタになりそうな気配を濃厚に醸しつつ、ロングシートに腰を下ろし、しばしの眠りにつくのだった。(イノテツ)
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| 東日本大震災関連 | 05:16 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

かつての写真だったらしいものが見つかるとは!

ここも放射能さえなければ、宮城と同じように
いまごろは復興に向かっていたんでしょうね。
原発は一度事故を起こすと、チェルノブイリの例のように
30年経っても死の街と化してしまいますね。

実はオーストラリアでもかつて核実験場だった
場所の除染をしようとしたことがあるらしいのですが
かなり広範囲に散っていて50年経っても無理で、
結局諦めたと聞きました

日本では雨がかなり降るので、逆に放射性物質を
集めてくれて除染がしやすいのかもなどと
思ったりもしますが、すくなくとも、
この除染がちゃんとできるまでは
原発は封印されるべき技術ですね。





| アホキ | 2011/09/27 06:21 | URL |

アホキさん

地震だの津波だの噴火だの、あらゆる災害が世界最大規模で起きる日本では、どうしたって絶対安全は求められませんよね。原発は、万一あぼーんした場合のリスクが大きすぎます。日本は国土が狭く、人口密度が高いのですからなおさらです。今回、不幸にもその「万一」が起きてしまったわけですが、少なくとも日本には不適切な発電法だということがよっく分かりました。
今後、寿命がきた原子炉を廃炉にしていく過程で、順次自然エネルギーに代替していければ理想ですが、代替が間に合わなければ生活レベル落とせばええやんと、単純に思ったりしています。それが意外とさっくりできることは、この半年で証明されましたしね。

| イノテツ | 2011/09/27 14:36 | URL |

政治の命題は、国民の命と暮らしを守ることだと私は思っていますが、その命と暮らしを一番ないがしろにしてきたのも、また政治ではなかったかという気がします。
代替エネルギーの問題は、コストや安定供給という経済活動を優先するレベルで語られることが多いですが、国民の命と暮らしを守るという命題に立てば、自ずと答えは見えてくるように思われます。

| タラ坊 | 2011/09/27 16:50 | URL |

タラ坊さん

日本のエネルギー政策を原子力へと方向付けたのは、いうまでもなく田中角栄です。首相在職中に石油ショックが起きました。国民の生活を安定させるため、これ以外の選択肢はなかったともいえます。でもやっぱり、アメリカやフランスにしてやられたというのが真相でしょう。どこか、大東亜戦争に似ています。超絶に不利な戦を仕向けられた末のマッチポンプだと感じます。
震災前までは、「原子力はCO2を出さないから火力よりはいいが、危険なので自然エネルギーができるまでのつなぎだ」と考えていました。事態ここに至り、そんな悠長なことは言ってられなくなりました。いま、火力に回帰することでしのいでいますが、ここに石油ショックが来たら終了です。ていうか、すげえ来そうです('A`) 新しい時代への脱皮が強く促されています。

| イノテツ | 2011/09/27 20:45 | URL |

2番目の写真の場所で例の常磐線で仲良くなった子どもたちと泳ぎました。
(ちなみにその3きょうだい、上から女の子-女の子-男の子)

夏休みに遊びに行って泊まった日の翌日。
マニュアル車の軽ワゴンをお母さんが貸してくれたので、
それを運転して、子どもたち3人を引き連れて海岸へ。
ギアとクラッチの切り替えが上手くいかずにエンジンをふかしたものだから
「うるさーい!」って怒られたのがいい思い出です。

夜はいわき市の七夕祭りへ。
お世話になった家族は事情で父を亡くしていたので、
実質的に男の子は一番下の子ひとり。
だから私のことがいいお兄ちゃんに見えたのでしょう、
道中はずっとべったりとくっついて離れませんでした。

帰りの電車。
当時走っていた夕方の久ノ浜発上野行き。
みんなが駅にお見送りに来てくれて、
列車が走り出すと、上の女の子がホームを駆け出して「またきてねー!」って。
あまりにもドラマみたいな光景にすごく感動したものです。
そんな懐かしい思い出をいちばん下のカットで感じ取ることができました。

すいません、思い出話ばかりになってしまって。
なんか写真を拝見すると切なくなってしまいますね。

| どんぶり | 2011/09/27 22:43 | URL |

どんぶりさん

おお、あの海岸で、あのホームで、そんなドラマがあったとは。
私もありましたね、「山田洋次の映画かよ・゚・(つД`)・゚・」っていうのが。私の場合は利尻島のバスで、手を振ってくれたのはお兄さんでしたが。あの美しすぎる光景が、今も鮮明に思い出されます。鉄ヲタの運命で、全国津々浦々を旅して廻りますが、そんな出会いはそういつもあるものではなく、そのそれぞれがかけがえのない思い出として残っています。

津波と火災の被害は、国道6号を境にしたようです。久ノ浜の駅は、この道に守られたのでしょう。茨城県人を長くやっていた私にとっては、もともとすごく愛着のある道です。
こんなことがなければ、生涯下りることのないまま終わったであろう駅です。思いもかけぬ形で、どんぶりさんの思い出とリンクしました。そのご家族がご無事で、元気に暮らしてらっしゃることを、私も一緒に祈りたいと思います。

| イノテツ | 2011/09/28 00:57 | URL |

実は数年前に予告なしでその一家を再訪したことがあります。
上の女の子は東京で学生、真ん中の女の子は地元でバイト、下の男の子は高校生。
で、アポなしで会えたのはお母さんと男の子だけでしたが
みんな私のことをよく覚えていてくれていました。

震災後、google earthで久ノ浜をチェックして、
その家族の家は辛うじて残っていたことを確認しています。
先日も触れた新聞記事で男の子の無事も確認しています。

「久々に手紙を出そうかな」と思っていたもののそのままになってしまっています。
時間が経ってしまい、ちょっと後悔。

| どんぶり | 2011/09/29 00:42 | URL |

へえ、すごいなあ、もう長い付き合いになるんですね。私なんか、ほとんどの場合一期一会ですから…。
いわき市は、原発事故のイメージばかりが先行しますが余震が特にひどかったところで、連日のように震度6が襲っていました。ご家族の恐怖たるや並じゃなかったことでしょう。
お手紙、出されてみてはいかがでしょう。直後の混乱期より、しばらく経った今の方が、むしろ良いタイミングのようにも思います。

| イノテツ | 2011/09/29 23:20 | URL |















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