きまぐれ 鉄道日和

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母と広島電鉄

今、韓国の暴走がひどい。おそらく安倍政権への対抗なのだろう。
対抗するのは結構だが、だからといって人倫を外れるようなことをしてはいけない。
大阪市生野区は在日韓国・朝鮮人の根城だ。ここで、在日韓国人による連続通り魔事件が起きた。「日本人なら何人でも殺そうと思った」と供述しているという。
一方、韓国本国では、大手新聞の中央日報に「広島・長崎の原爆は神の懲罰」という論説が載り、日本政府はこれに抗議した。これらいずれにも在京マスゴミ(産経は大阪の会社だから除外)はだんまりを決め込んでいる。明らかに異常だ。日本のメディアは、もう死んでいる(ケンシロウ風)。

534+1 名前:名無しさん@13周年 メェル:ssge 投稿日:2013/05/23(木) 22:45:48.49 ID:XqYG4rDr0
日本政府の反応はいささか遅かったが、「断じて許せん」は良かった。

なぜ日本人がこの件で怒るのか。
原爆による非戦闘員の大量虐殺は人類全てに対する犯罪だから、
繰り返してはならないと世界に訴えているのに、
朝鮮人には、単に日本への懲らしめにしか見えていないからだ。
そういう恐ろしく狭い視界と小さな器でものを見るから
自分たちの悲劇である朝鮮戦争のことすら忘れて日本叩きに夢中になる。

朝鮮戦争を神の懲罰といわれたら、こいつらはどう反応するんだろうか。

私は、某巨大掲示板にこう書き込んだ。私がこの手の話に敏感なのは、多分に母の影響だ。母は大阪出身だが、幼いうちに広島に引っ越している。団塊が幼少時に見た広島というのは、思いのほかきついものだったらしい。原爆ドームがまだ世界遺産なんかではなく、廃墟の中のひとつに過ぎなかった頃だ。

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広島電鉄宮島線5000形(井口駅付近 平成14年12月31日撮影・以下同じ)

「井口」といえば、普通は「いぐち」と読むだろうが、広電の駅名は「いのくち」だ。母は、この付近に住んでいた。

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井口駅の駅名標

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母が通っていた井口小学校。駅から近い。

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校門からの景色。ここから一面海が見えたと母は言う。

広電に乗って市街へ買い物に行くとき、原爆ドームが見えてくる瞬間が最もイヤだったと母は私に話した。ここでは伏せるが、他にも、まあいろいろあったという。
私が小学校3年のとき、母は「集会所に『ピカドン』という映画が来るから観てきなさい」と言った。私はてっきりサンリオのほんわか映画かと思って喜んで行ったのだが、まあ実際はあれだったわけである('A`) その他にも原爆関係の相当きついフィルムがいくつも映された。おそらく現在ではモンペがうるさくてできないことだろう。正直怖かったが、私はそれを何巡も繰り返し観た。帰りが遅くなったが、母は、それ以上何も言わなかった。私は右翼だが、核兵器には反対だ。保守派のデモに出ると日本の核武装を訴えるコールが流れるが、やはりどうしてもこれにだけは賛同できない。

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井口駅付近は、JR山陽本線が並走する。

母は学識はないが見識のある人だ。僧侶の娘だからだろうか。大学生の頃、私が教師になりたいと言ったとき、「あの世界は共産党が多いからおまえには合わない」とたしなめたのも母だった。自分の政治的左右も分からない頃だった。後年になって、驚くほど的確だったと驚いたものだ。その一方、教員免許を取ることそのものに反対しなかったのは、自分が出した学費で遊ばれるのがイヤだったからだろう |∀・) 教員免許を取るには、普通に卒業するのと同じくらいの単位が要るのだ。ほとんどの単位が「可」だった中で、教育実習だけが「優」だったのは、私の密かな誇りだ。

父の死後、長年の体調不良が極まって入院し、心臓が悪いことが分かった。「むしろ夫の処へ行きたい」などと主治医に言っていた母だが、幸い治療は順調で、気力も回復の気配が見えてきた。大阪や広島は遠いにしても、縁の地へ連れていってあげたい。まずは水戸、そして、ひたちなかかな |∀・)(イノテツ)
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| 都電・路面電車 | 03:40 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

そこで生まれ育ったからといって、そこに楽しい思い出や懐かしい思い出だけがあるわけではないだろうと思います。
私は東京生まれの東京育ちですが、生まれてから20歳くらいまで暮らしていた場所というのは、今は変わりすぎていて、懐かしさを感じるものは何もありません。
むしろ、若いときに住んでいた早稲田界隈に懐かしさ、というのとはちょっと違うのですが、たまらない気分を感じたりします。

| タラ坊 | 2013/05/24 21:48 | URL |

タラ坊さん

母が住んでいた井口というところは爆心から比較的遠く、直接の被害は受けなかったようです。広電の線路のすぐ脇が浜になっていて、現在では高級食材になったような海の幸が、素人でもバカみたいに採れたと聞きました。市街にさえ入らなければのんびりしていいところだったようです。
でもやっぱり「だった」わけです。転勤族で、広島以外にも方々引っ越したそうですが、どこも現在では変わり果てており、懐かしむよすがもないといいます。

タラ坊さんにしろ母にしろ、団塊の話を聞いていると、最もいい時代に生きたのはこの人たちだったなと再認識させられます。

| イノテツ | 2013/05/27 00:36 | URL |















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