きまぐれ 鉄道日和

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影の濃い冬の日

西之島新島2013(←wikipediaでの仮称)はさらに拡大を続けている。40年前の噴火によって海底が埋め立てられ、水深が浅くなっているので、拡大の早さは前回の8倍なんだそうだ。
それまで、私のMacの壁紙は北穂高岳に登ったときに自分で撮った北アルプスの展望写真だったが、現在は海上保安庁撮影のこれだ。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/photo131213/nishinoshima131213b.jpg

地球の息吹を感じさせられる。ネット上にはここに移住したいとか滑走路を建設しなければとか冗談めかした意見が溢れているが、現実問題我々は、絶海に全く新しい土地が出現するという貴重な機会に居合わせている。前回の西之島新島1973から40年、不毛だった島は、貧弱ながら植物が覆い、海鳥が羽を休める安息の場となった。だが、今回の噴火に関する画像を見る限り、鳥の姿が見えない。火山活動により、餌になる魚が煮魚になってしまっただろうし、自らも焼き鳥になってしまう危険がある。それでもきっと火山活動が落ち着けば、新島にも草が生え、鳥が降り立つだろう。そういう自然の営みを、なるべく人が関わらない形で観察していきたい。

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今、ある本の改訂を手伝っている。そこに載っている写真が暗いので、もっとカラッとしたやつに撮り直してくれという指令があった。渋谷区のネタなので、普段は寄り付かないこの辺りを徘徊することになった。
小田急線の代々木八幡で下車。ここには以前、一度だけ来たことがあった。若い頃、出会ったキリシタンに連れられてミサに参加したときだ。もちろん彼は、私が名門T大学仏教学部卒であることなど知らない。最終的に、「幸せは与えられるものではなく、自らの中に見出すものです。あなた方の考えだと、人はいつまでも争い続けなければなりません。宗教の名のもとに、どれだけの人が殺されましたか」と論破して帰ってきた。思えば私も悪意だった |∀・)
さて、指令は渋谷区の歴史の痕跡を辿る写真を撮るというものだったが、まずは目の前を走っている小田急線に目がいくのが鉄ヲタの性。都合良く跨線橋が多いのだった。

DSC_0598.jpg

LSE(7000形)をまともに撮ったのはこれが初めてだった。なんせ今回は、きちんと時刻を調べていったからな♪ 昭和生まれの鉄ヲタにとって、ロマンスカーといえばやっぱりこれだろう。この時点で仕事はとっくにそっちのけ。

DSC_0622.jpg

「春の小川」は文部省唱歌の中でも知られた存在だが、そのモデルになった小川の現状がこのザマである。かつて川だった路地の傍らには歌碑があり、「春の小川はさらさら流る」とある。あれ、俺は「さらさら行くよ」と教わったな。これも戦後糞教育の悪弊かと思ったが、この歌詞の改変は昭和17年に行われたもののようで、特に関係はないとみていい。
日本が壊れたのは帝国主義の時代以上に、高度成長の時代だったと思う。暗渠になった渋谷川や首都高の影になった日本橋や、または廃止された都電や、あの時代に失われたかけがえのない風景を、かりそめにでも取り戻そうとする動きがあるのは嬉しい。

DSC_0645.jpg

線路沿いを新宿方面へ歩いていった。怪しげな看板が目についた。「さとうひろしのラーメン教室」。市外局番が3桁のままのあたりに哀愁がある。10万円払い、10日修行するとラーメン屋になれるらしい。どんなラーメンができるんだろうか。ググると、私と同じく心の琴線に触れた人が多いらしく、「さとうひろし」の時点で検索候補に挙がってきたので吹いてしまった。

DSC_0652.jpg

小田急の起点は新宿だが、すぐに渋谷区に入る。意外なほど穏やかな住宅地が続き、沿線にはまだまだ踏切が健在だった。私は鉄道が醸す雰囲気が好きだ。近年の車両はしょぼくなるばかりだが、それでもこの、踏切を電車が通過していくときの雰囲気はたまらない。(イノテツ)
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| 都会の鉄道 | 09:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

代々木八幡は各停しか停まらない小さな駅で、ホーム際に八幡湯という銭湯があったりして、思いのほか庶民的なのですが、若い人が多く、ところどころ洒落た店もあったりして、つい、京成と比べてしまうのですが、この違いは何だろうと思ってしまいます。
東京の町が大きく変わったのは東京オリンピックあたりからではないかと思います。
向田邦子のドラマは、戦前から戦中、戦後間もなくの東京が舞台になっているものが多いですが、私の子どもの頃(昭和20年代後半から30年代半ばくらいまでにかけて)というのは、まだ、そういう雰囲気残していました。
銀座あたりへ都電で通える範囲に庶民の暮らしがあったように思います。
それはひとつの発展ということでいいのですが、私が一番残念に思うのは、たとえば、今の歌舞伎座のあるあたりは、昔は木挽町と言っていましたが、今は東銀座なん丁目になってしまい、そのように昔からの由緒ある地名が次々に姿を消していってしまったことです。

| タラ坊 | 2013/12/20 17:44 | URL |

タラ坊さん

路線のイメージというのは、多分に線路を敷いた鉄道会社が作るものでもあり、東急なんかはそういうのがうまかったと思います。まあ京成はそれが下手糞だったのでしょう('A`) 私はあの田舎臭いイメージも嫌いではありませんが。
地名の破壊というのは大変深刻ですね。メジャーな地名に東西南北を付けて統合するのは、実に愚策でした。私が以前住んでいた西巣鴨もその類いかと思ったら、これは江戸時代に、巨大だった巣鴨を東西に分割したことによる、意外と古い地名でした。
一方、千代田区では旧町名の復活が話し合われているそうです。版元が多い土地柄、「地名が変わると、以前の本の奥付がことさらに古く見えてイヤだ」とかいう反対意見があるとか。いや、日付が書いてあるんだからそれはないだろと思いますが。

| イノテツ | 2013/12/21 07:23 | URL |















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