きまぐれ 鉄道日和

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あれから18年…ようやく叶った陸前高田訪問

テロ組織・自称「イスラム国」による人質の殺害に対し、怒りと哀しみを覚える。
日本政府は、救出のための有効な手を打てなかった。ところが、その対応は概ね支持された。諦観みたいなものに由来するのなら悲しいことだ。
現行・昭和憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全を保持すると謳っている。個人的にはとても崇高な考えだと思うが、一方、人間が持つ憲法には100万年早いわとも思ってきた。「平和を愛する諸国民の公正と信義」なるものが、全世界にあまねく行き渡っているわけではないことを、昭和憲法は想定していない。理想と現実の乖離の犠牲となって、国と国民が危険に晒されるのでは本末転倒だ。
もちろん、今回の事件のみをきっかけとして憲法改正に走るのだとすれば早計だ。実際、そういう論調も声高にいわれている。だがそうした意見は、すでに数十年に渡って重ねられてきた議論を正視していないのではないか。
憲法は100万年先などではなく、せいぜい100年先の理想を語るべきだ。そして状況が変わったなら、それに対応しなければならない。現実に目を向ける勇気が、主権者たる国民に求められている。

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一ノ関を出た大船渡線の列車は気仙沼で打ち切りとなり、ここからは仮復旧のBRTに乗り換える。画像のが、盛行きバスだ。気仙沼線BRTと異なり、駅前広場を発着する。一般道路を走り、普通に信号にひっかかる。なんじゃいこれ、単なる代行バスちゃうんけ('A`)
BRTとは、bus rapid transitの略であり、基本的には専用道を高速で走るバス輸送システムのことである。実は大船渡線BRTでも、陸前高田より先では線路を埋めた専用道になっている。また、気仙沼側でも3月の改正を機に専用道の供用が開始される。発着も駅構内となり、より本格的なBRTへと移行するだろう。

18年前、初めて大船渡線を訪れたときは夜だった。車内のアナウンスで「陸前高田」という駅名を初めて聞き、その響きに惹かれた。車窓から見える陸前高田駅は暗がりの中だったが、とても魅力的な佇まいで、次に大船渡線に来たときはここで下りて、ゆっくり街を歩いてみようと思ったものだった。
だが、震災が起きた。旅情をかき立てたあの駅も街も、津波に流されてなくなってしまった。

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BRTで下りた陸前高田駅はこんなだった。高台に設置された仮設駅舎で、元の駅の場所からは大分離れている。これでは、過去を偲ぶこともできない。だが、被災から4年にして、ようやく本格的な新駅舎に建て替わり、こちらも3月の改正から供用開始されることになった。詳しくはこちら。えらい簡素なデザインだが、他の再建駅舎にも使い回してるようだ。

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高台から見る、現在の陸前高田市街。この景色の中に大船渡線の線路があったはずだが、全く見当がつかない。あたかも新興住宅街の造成現場のようだ。ただ違うのは、大きく盛り土がされていること。土地全体をかさ上げしてからでないと、新たな街づくりもできないのだ。工事は着実に進められているが、4年も経ってまだこの状態だともいえる。被害の巨大さを感じずにはいられない。

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そしてやはり、これを見ておかなければと思った。奇跡の一本松。天気の悪さも手伝って、希望を感じるというよりも、普通に鬱になった。サイボーグ化してまで残すことに議論もあったわけだが、これを目的に当地を訪れる人は多い。近くには大きな駐車場があって、「一本松茶屋」という観光物産施設もでき、盛況だ。こうなってみると、悪い選択ではなかったのではないかと思える。

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BRTとなって設けられた新駅・奇跡の一本松駅。件の茶屋の向かいにある。駅とはいうが、どう見てもただのバス停である('A`) だがここも、隣駅の陸前高田駅の駅舎新築や専用道延伸によって様子が変わるんだろうと思われる。1日も早い復旧・復興を祈りつつ、ここで再びバスに乗り込んだ。(イノテツ)
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| 東日本大震災関連 | 03:19 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

現憲法の崇高な理念は、読むたび感動を覚えるほどですが、現実世界を目にすると、人類は相変わらず愚かなことを繰り返しており、確かに解離してしまっているなという思いがあります。

阪神淡路大震災から10年、東日本大震災から4年。月日だけが過ぎて行きます。
若いうちならまだ自力での再建も可能でしょうが、ある程度年を取ると、相当な資産のある人は別にして、年金暮らしをしているような人は難しく、私なども、災害で何もかも失ってしまったら、ちょっともう立ち直れないだろうなと思います。このところ思いがけない病に罹り心が弱っているせいか、余計そんな思いにとらわれます。

| タラ坊 | 2015/02/11 13:56 | URL |

タラ坊さん

昭和憲法は崇高すぎて、宗教の教典のようになってしまっているのでしょう。しかし人間は皆凡夫であり、これを実践することができません。憲法改正は、その理念を後退させる方向で進むでしょうが、身の丈に合ったものに直すという意味では、やむを得ないと思っています。

阪神大震災の場合、大都市を襲った災害だったため、復興への力がありました。一方、東日本大震災の場合、もともと過疎化で弱っていた地域が襲われました。私もあそこで被災し、全てを流されて身一つで助かったとしたら、自力で立ち直る自信など到底ありません。それでせめて、こうして被災地を訪れたり、産物を買ったりして、微力でもなにかできればと思っているわけです。

病気の治療は、まだ本格的には始まっていないとお聞きしました。金がかかるのも鬱の要因かと思いますが、なんといっても、日常生活を阻害する痛みは大きなストレスです。治療が早く進むと良いですね。

| イノテツ | 2015/02/11 19:01 | URL |















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