きまぐれ 鉄道日和

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終点駅の緊張感とは

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終点駅には高揚感とかワクワク感のようなものを感じることはあっても、緊張感という言葉には違和感があった。
そう思いながらも、師と仰ぐ真島氏がそう言っているので、ついいっぱしのつもりになって「終点駅には緊張感がある」などと過去のブログに書いていたりする。

 終点駅というのは大きなターミナルであることも多く当然人が多いから、中にはスリもいて、それがある種の緊張感につながるようなことはあるかもしれない。もちろん真島氏の言う緊張感というのはそんな矮小な話ではないだろう。

 昔読んだ本で、ある物理学者(名前を忘れた)の説に「物質にも意識が宿る」というのがあった。強い意識は残留してその周辺に残ることがあるという説だ。

 たとえば、霊験あらたかな山などには多くの人が信仰心を持つ。そのことによって山に意識が残留し、山自体に意識のようなものが発生する。さらにそのことで多くの人々が集まってくる。といったような話だったと思う。

 とても怪しい理論で、私自身、読みながら話半分以下に聞いておこうと思った。
 この話、工学的に勝手に解釈すると...

 たとえば、強い磁石を鉄に近づけると鉄が磁性を帯びる。この原理でマグネットを作ったり、ハードディスクに情報を記録できたりする。

 これと同様、強い意識があるとその周辺が磁性を帯びるように、意識性を帯びるようになるのではないだろうか、というのが私流の理解である。まあ怪しいとお思いながら結構傾倒していたりするのだが。

 もし、これが真実なら、頭端式ホームで非常なプレッシャに晒された運転士や乗務員達の意識が終点駅周辺に帯磁して、残留していたことになる。

 その残留磁性のようなものを、敏感な真島氏は感じ取っていたのかも知れない。などという、怪しい理論の上にさらなる仮説を思いついてしまった。

 そういう証拠のかけらがないものか、もう一度、真島氏の文章を読み直してみた。

「真島満秀の鉄道写真家の世界」の52ページに「終着駅」というタイトルで、上野駅について語っている文章がある。田舎の信州から上京して、最初に降りた駅であり、故郷からの終着駅、都会生活の始発駅、今ではショッピングセンターと重層構造の現代の駅になりつつある。
 と紹介したあとに

「上野駅に行くと、遠くなってしまったあの頃をつい探してしまう。13,14番線の煤けは...。その向こうに見えた帰省する出稼ぎ出稼ぎの人達の安堵の眼差しは...、と。
 終着駅にたたずむと、どんな駅であってもそんな思いが助長して途中の駅とは違う緊張感を覚えてしまう。」
 と書かれている。この文章を読む限り、真島氏の個人的な思い出に帰すような話と考えるのが自然で「おいら霊能力じゃねえんだぜ」と一蹴されてしまうような仮説だった。残念!(アホキ)
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| 未分類 | 11:27 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

医者であり作家でもある人のエッセイに、死に行く者には死に向かうエネルギーのようなものがあり、医者としてあまりに多くの臨終に立ちあっていると、そのエネルギーに魂を吸い込まれてしまうようなところがある、というような意味のことが書かれてありましたが、エネルギー、磁場と言ってもいいかもしれませんが、そういうものは、場所や建物にもあり、終着駅に感じる磁場は、あまりにも多くの列車の発着や、人々を受け入れてきたことからくる、一種の「執着」がもたらすものなのかもしれません。
話は代わりますが、以前、アメリカのある科学者が霊魂にも重さがあるのではと実験をしたことがあったそうですが(どういう実験をしたのか定かではありませんが)、軽量されなかったという話です。

| タラ坊 | 2010/12/01 12:10 | URL |

先日の記事で、車止めに近づく際の運転士のプレッシャーというのがありましたね。列車到着ごとにそれが繰り返されているわけですから、車止めにそれが残存・蓄積されているというのも、あながち否定できないと思います。
とはいえ、真島さんの文章はそうしたオカルティックな話ではないんですね。うーん、単に他に適切な言葉が見つからなかっただけのような感じでしょうか。

| イノテツ | 2010/12/01 14:09 | URL |

タラ坊さん

死に行く者の死に向かうエネルギー、ですか。まあ、そういう感じは一度も経験したことがないんですが、医者がいうなら信憑性がありそうですね。
意識ってなんだろうと思ったりします。
生物の体は物質なわけで、死ぬとただの物質になる。
その物質に意識が宿っており、「物質に意識が宿る」というのは当たり前のことをいっているだけかもしれません。



イノテツさん

 イノテツさんは、こういう仮説を受入れやすいほうかもしれませんね。私は昔なら一蹴した考えなんですが、最近はあるかもしれないし、ないかもしれないという、まあ上に書いたとおりですが半信半疑な状態です。
 最近、わりと受け入れられやすくなっている感じがしますが、ちょっと前までこういうことを公の場で言うと変なレッテルを貼られたりしたので、ひょっとすると真島氏はそういう感じを持ちながらも、自分の中で封印していたのかもしれません。
 それにしても読みが深いですね^^

| アホキ | 2010/12/01 15:22 | URL |

この記事、おもしろい。
この路線、貫いてほしいなっ。

| くろくま | 2010/12/01 20:36 | URL | ≫ EDIT

くろくまさん

ありがとうございます。
くろくまさんにそういっていただけると自信が付きます。

真島氏はこの文章では、こう言っているんですが、
他の文章と合わせたり、トータルで見ると、
やはり現場で何ものかを感じながら、撮っていた
写真家なんじゃないんだろうかという気がしてます。


| アホキ | 2010/12/01 23:11 | URL |

アホキさん

♪線路は続くよ どこまでも~という唄がある通り、線路はどこまで続いているという意識がある中で、線路が途絶えているという非日常的な光景が、ある種、見てはいけないものを見てしまった的な緊張感がどこかにあるのでは?と勝手に思ってるのですが。

| | 2010/12/02 11:52 | URL | ≫ EDIT

コメントありがとうございます
コメントの主はどんぶりさん??

実に偶然というか、わたしも全く同じ事を
思いついたことがありまして、
ちょっと前のブログに書いていたりします。

あると思っていた線路が途絶えている。
うひーっていう感じですね(←どんな感じだ)

それにしてもいろんなことを想像させてくれる
文章だと思います。




| アホキ | 2010/12/02 15:55 | URL |

こんばんは。
残留思念が第3者に作用するとか、こう言った話は哲学と精神論の狭間的なトコに落ち着きそうですが、科学と称する方々もいらっしゃいますね。

個人的には木城ゆきと氏や士郎正宗氏などの漫画を思い出してしまいました。

| JUMBO@おnew会社PC | 2010/12/02 17:44 | URL |

JUMBOさん

残留思念というキーワードを知らなかったので
ぐぐってみましたが、ちょっとおどろおどろしくて
恐い話が多いですね;;;

私の読んだ本はもう少し物質的というか、
物理的な感じで説明されてました。
といってタイトルも著者も思い出せないんですがw

ところで、大井川の水面反射バック行きたいですーー
いつ頃ご都合付きそうですか?


| アホキ | 2010/12/02 21:27 | URL |















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