<鉄道と文学>野田知佑著『旅へ』
彼は大学を出た後も定職に就かず、アルバイトしながら北海道などを転々としていた。日本中が「東京オリンピック」で浮かれていた時期だったそうだ。ちなみに私はその時期中学生で陸上競技部に属していたので、オリンピックの短距離走やマラソンなどのTV中継を結構熱心に見ていた記憶がある。
中学3年生になると、受験とのからみでクラブ活動ができなくなったので、その代わりになるものとして私を夢中にさせてくれたのがビートルズだった。と、話が横にそれてしまった。
そのように定職に就かず、日本中をぶらぶら歩いていた彼に影響されて甥っ子たちがそれを真似したがるので、彼は親戚中から諸悪の根源のように思われていたらしい。母親からも、会うたび「早くきちんとした勤め口をみつけてまともになれ」と口うるさく言われていたようだ。
そのあたり、いわゆる「立派な社会人」になることへの抵抗感が強く(それはつまり、体制内秩序にクミすることになるという意味で)、日本という閉鎖社会を覆う閉塞感で窒息しそうになっていた若い頃の私と、なにやら共通するものがある。
彼が旅に、それもヨーロッパへ行こうと思ったのは、たまたま出会った一人のアメリカ人ヒッピーの、
「ヨーロッパはいいぜ。あそこは大人の国だから、君がどんな生き方をしても、文句はいわない」
という言葉がきっかけだったそうだ。そうして彼は、息苦しい日本におさらばすべく新聞配達のアルバイトで貯めた金を元に、横浜港から当時のソ連船「ナホトカ号」に乗って日本を脱出する。船が岸壁を離れた時、彼は「ザマミロ!」と思わず叫んだそうだ。
そうして、ヨーロッパ中を歩くことになるのだが、移動はヒッチハイクが基本なので、あまり鉄道に関することは出てこない。
「汽車はローヌ河に沿って南下した。アビニヨンで下車。そこで拾った車はアルルにぼくを運んだ」
というようなことがところどころに書かれてある程度だ。
最近の若者は(こういう言い方もなんだかなぁーと思ってしまうが)、旅行も海外より国内、外国留学もあまりしたがらないという傾向があるそうだが、感性や観念の貯金をするべき時期に、日本という狭い範囲に留まっているのはあまり好ましいことだと思えない。ますます日本人が人間として小さくなっていくような気がするのだが、どうだろうか(タラ坊)。
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こういう業界ですので、夜でも休日でも平気で仕事の依頼があるし、旅先から連れ戻された経験も1度や2度ではありません('A`) フリーって結局、まとまった休みが取れないんですよね。そうすると、つい近場で安くと内向きになってしまいます。あー遠くへ行きてえなあ(列車で)…まあ、私が感じる閉塞感などかわいいものです。
海外旅行の経験は乏しいですが、行く先々、見るもの食うものにがっかりし、盗難には遭うし、うわ、日本って素晴らしいのかもしんねえとか思ってしまいました。思えばそれも、大切な経験でしたね。
| イノテツ | 2010/12/13 12:03 | URL |