きまぐれ 鉄道日和

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<鉄道と文学>梶井基次郎の「冬の日」

明後日は冬至だ。去年も書いたような気がするが、毎年この時季になると、梶井基次郎の「冬の日」が読みたくなる。
「季節は冬至に間もなかった」という書き出しではじまるこの作品は、胸を病んで大学へもあまり顔を出さず、下宿にこもりがちの堯という男を主人公にした掌編だが、その堯が銀座へ出るところがある。特にどこからどこまで乗ったということは書かれていないのだが、梶井基次郎は麻布狸穴町に下宿していたから、麻布から銀座へ出るとすると、古い都電の系統図で見てみると、魚籃坂下から古川橋、新橋を経て銀座2丁目までを走っていた4系統か、天現寺橋から、飯倉1丁目、桜田門、日比谷公園へと走っていた8系統かのいずれかに乗ったのではないかと推察される。

千登勢橋①
千登勢橋から眺める都電。
イノテツ氏のテリトリーを荒らしてしまって申し訳ない。
千登勢橋②

「クリスマスや歳末の買出しがはじまっていた」銀座へ出ると、そこで、それが自分自身への口実である「珈琲や牛酪やパンや筆」を買い、その後、「ストーブに暖められた街角のレストラン」に入るのだが、そのレストランの天井で「物憂い冬の蠅が幾匹も舞って」いるのを所在なく眺めながら「何をしに自分は来たのだ」という思いに堯は捉われる。
また、冬至を過ぎて間もない頃、以前住んでいた町の質店へ行くところがある。
「長い帰りの電車のなかでも、彼はしじゅう崩壊に屈しようとする自分を堪えていた。そして電車を降りて見ると、家を出るとき持って出た筈の洋傘は──彼は持っていなかった」
そして部屋に戻ると、「夕方の発熱時」が来ており、
「突然匕首のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失って行った母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮かべる、彼は静かになきはじめた」
私の母も、年老いてから、時々そういう表情をすることがあった。
この「冬の日」をはじめ、「檸檬」など数少ないながら珠玉の作品を残して、梶井基次郎は肺結核により31歳で亡くなっている。立原道造も同じく肺結核で25歳で亡くなっている。10代の頃、私も梶井や立原と同じように肺結核になって、20代か30代で死ぬような予感がしていた。ところが医学の進歩で、肺結核は不治の病ではなくなってしまった。おまけにすこぶる健康な私は、病気にもならず、事故にも遭わず、おめおめとこの年まで生きながらえてしまった。どうするんだよという思いはあるものの、しかし、生きてしまったものはしょうがない。そう長いことではないし、あとは死ぬまで生きて行くだけだ(タラ坊)。

※作品引用はいずれも筑摩書房版「梶井基次郎全集」第一巻に拠った。旧漢字・旧かなを当用漢字・新かなに改めた。
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| 未分類 | 09:10 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

すこぶる健康ですかー
3年くらい前に今にも死ぬようなことを言ってましたがw

マジな話、いちど病気をすると、それが一番ありがたいことだと悟りますね。普段は忘れてますが^^









| アホキ | 2010/12/20 13:17 | URL |

千登世橋あたりもすっかり寒々しい景色になりましたね。私が本に載せた写真を撮りに行った頃はくそ暑く、今年の夏特有の霞でうんざりしたものでした。

| イノテツ | 2010/12/20 14:03 | URL |

アホキ様

数年前にすぐ上の兄が62歳で亡くなりましたが、うちは父親も62歳で亡くなっており、一番上の兄も58歳で亡くなるなど、皆、その辺りの年齢で逝っていますので、私もそろそろかなと思っていたのですが、しばらく死にそうもないですね。
と言ってもわからないですが、とりあえず、死ぬまでは生きていようと思っています。

| タラ坊 | 2010/12/20 20:03 | URL |

イノテツ様

千登勢橋もすっかり冬っぽい景色になりました。
あそこから鬼子母神が近いので寄ってみましたら、なんとか市みたいのをやっていて、いろいろなお店が出ていてにぎやかでした。
学習院下から鬼子母神前にかけては線路が坂を上るようになっていていいですね。

| タラ坊 | 2010/12/20 20:07 | URL |















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