雨水の頃に
冬のつぎに春となるを思はず
ともにあゆみし
後のかたみに
これは作家・立原正秋が死の前年に詠んだものだそうで、死に向かう覚悟のようなものが、この歌からは読み取れる。立原が亡くなってしばらくしてからこの歌を目にした時、奥さんは泣いたそうである。
売れない時代が長く、家族に苦労をかけ続けた立原が最後に見せた家族、特に奥さんへの詫びの情がこの歌には込められているように思われる。
「心の贅沢に恵まれた人生を、立原とともに歩ませてもらった」
立原と過ごした日々を顧みて、奥さんはそう語っている。
お金を使う贅沢には私もまた縁がないけれど、さればとて、心まで貧しくはなりたくないと思う。
等しく誰の頭上にも降り注ぐ太陽の光、その温もりの贅沢さ。
四季折々に自然が見せる表情の豊かさを味わえる贅沢さ。
折々に旬の味をほんの少しばかりいただける贅沢さ。

まだ少し早いけれど、間もなく諸葛菜も菜の花も咲くだろう。これは昨年の3月頃だったろうか、四谷~市谷間で撮ったもの。
春には春を楽しもうと思う。それも、生きていればこそ味わえる贅沢だ(タラ坊)。
| 未分類 | 14:37 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
昔、実家近くの土手にはカラシナが自生していて、葉っぱや花を摘んできて茹でて食ったものです。自分の存在などチリのようなもので、いようがいまいが、日は昇り日は沈み、春が来て夏が来ます。そうした悠久の営みのうちの、ほんの数十年を見させてもらうのが命なのでしょう。わずかな時間であってもそれを満喫し、笑みを浮かべながら氏ねたら素晴らしいです。
しかし、そんなこと言っても、まずは金が要るんですよね。ああ、いやだいやだ('A`)
| イノテツ | 2011/02/21 18:43 | URL |