きまぐれ 鉄道日和

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(続)長瀞七草寺霊場巡拝記

葛花の寺である遍照寺から野上駅方向へ向かい、また踏切を渡って、次に朝貌(桔梗)の寺である多宝寺(真言宗智山派、本尊は十一面観世音菩薩)、藤袴(フジバカマ)の寺である法善寺(臨済宗妙心寺派、本尊は阿弥陀如来)を参拝したが、桔梗も藤袴もあまり咲いていなかった。
藤袴の寺で思い出したのだが、取材時、この寺でちょっとしたトラブルがあった。取材に当たっては予め霊場会に断りをいれてあったのだが、この寺で「お宅が商売で本をつくるのは勝手だけれど、なんでうちがそれに協力しないといけないの」と取材拒否にあったのだ。言い分はもっともなような気もするが、それでは取材にならないので、霊場会に連絡し、霊場会から話を通してもらって、やっと取材が叶った。
私もこれまで取材等で数多くの寺を訪ね、住職にもお会いしてきたけれど、愛想の良いお坊さんもいれば、こういうヘンクツというか融通の利かないお坊さんもいる。けれど、それは、お坊さんに限らず、どの世界でもそうだろう。
それはともかく、藤袴の咲いていなかった藤袴の寺である法善寺から長瀞駅方向へ進み、次に女郎花(オミナエシ)の寺である真性寺(真言宗智山派、本尊は不動明王)を訪ねた。

女郎花咲く真性寺

藤袴の寺の法善寺の、いかにもやる気のなさそうなのに比べて、ここの女郎花は見事だった。庫裏で自家製の梅干しなどいろいろなものも販売していて、せっかく足を運んでくれた参拝者に楽しんでもらおうというサービス精神が旺盛だ。
いろいろな考え方があるから、一概にどちらが良いとか悪いとかの問題ではないけれど、いつまでも檀家制度に依存していられる時代ではないのだから、お寺も時代に合わせた意識改革が必要なのではないだろうかと思った。
と、そんなことはどうでもいいのだが、お彼岸まではまだ間があるけれど、その境内で、早くも彼岸花(曼珠沙華)が咲いていた。

彼岸花

この花を見るといつも、羯諦 羯諦(ギャーティ ギャーティ)という気分になる。
最後に、蠟梅で有名な宝登山の麓にある撫子(ナデシコ)の寺である不動寺(真言宗醍醐派、本尊は不動明王)を参拝し、ここを結願寺とした。

不動寺

この寺に霊場会の事務局がある。
7か寺全部巡れてよかったものの、この後、荒川橋梁に行く予定にしていたのだけれど、いさかか遅くなってしまった。これから行ったのでは暗くなってしまってダメかと思ったけれど、行くだけ行ってみようと、長瀞駅から1駅乗って上長瀞駅で降り、荒川の河原に下りた。
日暮れ間近の河原は、川面から靄が湧き出して幻想的な風景を見せていたが、やはりいさかか暗く、写真がモノトーンになってしまった。

荒川橋梁

さて、完全に暗くならないうちに河原を抜け出さなくては。
薄暗くなりはじめた観光地というのは、シーズンオフのときもそうだけれど、店もほとんど閉まってしまい、人通りも絶えて、なんだか寂しいものがある。
駅で列車を待つ間に完全に真っ暗になってしまったけれど、久しぶりに気持ちのよい1日を過ごせた巡礼行だった(タラ坊)。

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長瀞七草寺霊場巡拝記

9月9日の土曜日に、長瀞七草霊場を巡って来た。
以前、霊場関係の本をつくったときに取材しており、本は2000年11月1日付の発行だから、取材はその前年の1999年の9月初め頃にしているはずだ。したがって18年ぶりの再訪ということになる。
その霊場のことも、取材したこともすっかり記憶の彼方にあったのだが、NHKのニュースで季節の話題としてこの霊場のことが紹介されていて、それを観ながら、ちょうど季節だし、行って見ようかという気になったのだ。
七草寺の七草とは、言うまでもなく、山上憶良が「万葉集」で、秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふればと挙げた、萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝貌の七種(ななくさ)の花のことで、次第に少なくなってきている日本古来からのこれらの花を守り育てて行こうと、長瀞町内に七か寺を選び、それぞれの花を植え育てていったのが始まりとされている。
今では、長瀞駅前から七か寺を結んで巡回バスも出ているようだが、取材したときと同じコースをたどり歩いて廻ろうと、まず、秩父鉄道の樋口駅で降り、そこからほど近い、尾花の寺である道光寺をスタート寺にした。ここは臨済宗妙心寺派の寺で、本尊は釈迦如来だ。

道光寺

道々、西武鉄道ハイキングと書かれた道標がいたるところに掲示されていて、おかげで、道に迷うことなく巡れた。
そのハイキングの参加者と思われる、そのほとんどは私と同年配のおじさん、おばさんたちだが、その人たちと後になり先になりして以後、進むことになる。
リーダーと思しき人が山上憶良の歌を詠んだうえで、朝貌(あさがお)というのは間違いで、実は桔梗のことなんですよ、というような説明をしていたが、桔梗であるというのはその通りなのだが、あの時代は朝咲きの花を総称して朝貌と呼んでいたというのが通説なので、間違いと言ってしまうのはいかがなものかと思ったが、そういう指摘をするとリーダーとしての権威が失墜してしまうだろうから、余計なことは言わないでおいた。
次に、線路を挟んで反対側にある萩の寺である洞昌院を訪ねる。

洞昌院

ここは真言宗智山派の寺で、本尊は不動明王だ。
次に、葛花の寺である遍照寺へ向かう。ここも真言宗智山派の寺だ。本尊は木製寄木づくり等身大の神変大菩薩像で、さすが、役行者を本尊とする寺だけあって、途中から完全な山道になってしまう。

遍照寺 (2)

葛は繁殖力が旺盛で、他の植物を駆逐してしまうことから嫌われもので、公園などに植栽されることはまずない、と言うより、出てきたら引き抜かれてしまう。そういうこともあってか、葛花の寺と言いながら、本堂前に咲いていたのは黄花コスモスで、葛は1か所にまとめられていた。
これが葛の花だ。

葛の花

山寺という趣のこの遍照寺へ向かう道以外はほぼコンクリートで舗装されたところを歩くのだが、車の通行も少なく、折から金木犀が香り始めており、山々を眺めながら歩く道は、いささか日差しが強く暑かったものの気持ちよかった。
途中の踏切の傍らにも黄花コスモスが咲いていた。

黄花コスモス咲く踏切

やっと、鉄道にからむ写真が出せてよかった(タラ坊)。※以降は次回につづけます。

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小田急線沿線火災に見た乗客の民度

戦後の日本に、再び空襲警報のサイレンが鳴ったことを、もっと重く受け止めるべきだ。
私は基本的に憲法9条の理念に賛成だ。こうした理念が世界に広がれば戦争はきっとなくなる。だが残念なことに、この理念は一向に広がらないどころか、これを掲げる日本の平和をも脅かすようになってしまった。北朝鮮をここまで増長させ、核・ミサイル戦力を持たせてしまったのは、9条の理念が悪意に利用されたからである。9条が悪いのではない。人間が悪いのだ。性善説に基づいて制定された9条は、人間の悪意に対応できないという悲しい弱点を持っている。
こうなる前に北朝鮮に平手打ちを数発かましておければ、これから起きるであろう悲劇を未然に防げた。だが、この「平手打ち」も、思いっきり9条に抵触する。まずいのは、このことが現実の問題から目をそらして先送りにし、より深刻な状況を作り出すのに利用されてしまったことだ。悪意を持って9条を守ろうと叫ぶ手合いに気をつけたい。彼らは平和を乱し、日本を破壊することを目的としている。

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夕方、明治神宮にお参りしてきた。
ところが上空がやかましい。見上げると、ヘリが何機も飛んでいて、中でも神宮上空でホバリングして離れないやつが特にうざい。警備の人によると、近くで火事があったという。ああ火事ですかと答える自分が少し安堵していたのが怖かった。もっときな臭い予感があったからだ。

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北参道を抜けると代々木駅が近い。画像右側にはテントが設営されている。各地、例祭の時期だ。ここでこんな行列を目撃した。振替乗車券を求める人たちである。小田急沿線で火災があって運休しているという。ああ、さっき聞いた火事のことか。すると、火事は参宮橋駅付近ってことになるな。
なお、火事場の様子など、メジャーなことは散々報道されてるのでそちらをご覧ください。ここでは、より鉄ヲタ的視点から、周囲の様子を見ていきます。

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心身病んでるので参宮橋まで歩くのはきついということで、手前の南新宿駅まで行ってみた。こんな状況だった。一見普通だが、異常な点を3つ探してみてください。
1.ホームに人がいない
2.下り線の至近に電車が2本止まっている
3.線路を人が歩いている
瞬時にこの3つに気付ければ鉄ヲタ入門編は合格です |∀・)

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近寄ってみるとこんなだった。駅間で止まった電車から降りた乗客が、踏切までの線路を歩いているのだった。なお、法被姿のオサーンは、本来1枚目の画像のテントにいるべき人なんだろうが、絵的にいい感じだったので載っけさせていただいた |∀・)

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職員の手助けを受けながら、乗客が次々と線路上に降り、踏切へと向かっていく。不謹慎だと叩かれるかもしれないが、現場は意外と和やかだった。杖をついた老人もおられ、そういう人にとっては災難この上なしだが、非日常を楽しんでる風情の人も多かったのだ。私に話しかけてきたお姉さんも、「ここから新宿まで歩けますか?」とニコニコ笑っていた。「頑張れば歩けますよ」と、私も彼女の非日常感を微妙に煽ったりしたのだった。
これ、意外と大事なのだが、小田急沿線民のレベルの高さに改めて感嘆した。震災だの水害だのみたいな洒落にならんものは別として、こうしたトラブルくらいなら楽しめてしまうっていうのはすごいことだと、個人的には思うんだよね。外国でこういうことが起きると金返せだの早く下ろせだのと途端に混乱するものらしいが、私が見る限り、そうしたことは一切起きなかった。唯一、地元民らしきオサーンが、踏切の警報機がやかましいと文句を言っていたくらいだ。

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それというのも踏切の警報機は列車が近づくと自動的に作動するものだからだ。こうして列車が踏切付近で立ち往生すると、警報機は自ずと鳴り続けることになる。遮断棒も自動的に降りたままになるわけだが、この棒は着脱可能な構造になっていて、今回も、専門知識を持った作業員が着脱し、ここを渡る人の便宜を図っていた。その手順は興味深くて動画案件だなと思ったが、防犯上問題がありそうだからスチルだけにしておく。

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この踏切にはこの作業員一人が張り付き、技術的なことから乗客、通行人の対応までこなしていた。本来なら他にやることがあったんだろうにお疲れ様です。彼は盛んに指令と連絡を取り合っていた。ポコペッペンポッペンペン♪ というiPhoneでおなじみの着信音の他に、ジリリリリーンという昔懐かしいベルの音が響いたりもした。アンティーク趣味なのかこの人と思ったら、本物だった。鉄道用非常電話(鉄道電話)である。げっ…黒電話だ…。

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線路脇に黒電話、シュールぢゃねえかこの絵…。大概時代から遅れてたうちの実家でも、黒電話は中学生の頃(昭和末期)までだったわな。そう考えると、これはどんだけ年代ものなんだろうか。しかもちゃんと機能してるし。少なからず埃かぶってるのも、まあそれだけ非常事態が少ないからだと好意的に見たいと思う。
黒電話がこうして現役で機能してるのはなんだか嬉しいことだとはいうものの、大手私鉄である小田急ですら非常時への対応は後回しなんだなあということ、私企業にできることには限界があり、お上は鉄道会社に対して冷たすぎるんじゃねえかという不満が芽生えた。車会社からより一層金もらってるからなんだろうけど、公共の福祉により寄与するのは鉄道だと、私は固く信じる。
あと余談だけど、ネット上で「黒電話」の愛称で通ってる人がいるわな。日本ではこんな状態だが、あの国では黒電話がトップに君臨し、世界を翻弄してるんだからすごいことだ。

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概ね情報が行き渡ったのか、渡りに来る人も車も稀になった踏切は、通らない列車から通行人を守るため、虚しく機能し続けていた。(イノテツ)

| ニュースなど | 23:58 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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晩夏

8月20日の日曜日に、所要があって千葉県の富津漁港近くまで行って来た。
と言っても、漁港はもとよりどこにも寄らず、ただ行って、用件を済ませて帰って来ただけだ。
千葉駅から乗った内房線の普通列車は木更津止まりで、ここで館山行きの普通列車に乗り換える。
3月のダイヤ改正で内房線は木更津乃至君津止まりになってしまい、館山まで直通する列車はなくなってしまったそうだ。
君津より先に住んでいて千葉駅や、あるいは蘇我で京葉線に乗り換えて東京方面に通勤、通学している人は不便このうえないだろう。
JR各社はこのところ豪華列車の開発に熱心のようだけれど、一部の人しか乗れないような豪華列車を走らせるより、日常使いの列車をこそ大事にしてほしいと思う。そのあたりにも、JRがどこを向いて商売しているのかがわかるような気がする。
それはともかく、五井駅で車窓から小湊鐡道のキハ200系(多分)の気動車が見えた。

小湊

やはり気動車はいいなぁ、乗りたいなぁと思いながら、五井駅を出た列車は、続いて姉ヶ崎、長浦に停まって行く。
長浦で、つげさんの「やなぎ屋主人」という漫画を思い出す。
網走番外地の唄を聞いて急に海が見たくなり、新宿から房総行きの列車に飛び乗って、N浦という寂しい駅で降りた、というところからはじまる話だったが、N浦は多分長浦だろう。駅舎も含めてその漫画に描かれていたような寂しげな風情は、今は何もない。
やがて、終点木更津駅に到着する。そのホームから久留里線の車庫が見えた。

久留里線

久留里線も1回乗っただけだ。
ここで乗り換えた館山行きの普通列車は次に君津に停まり、その次が青堀という駅で、ここで降りる。
木造瓦屋根のなかなか雰囲気のよい駅だったが、スマホのカメラはまだ慣れないせいか、構図のとりかたがもうひとつうまくいかず、ボツにした。
その駅前から富津公園行のバスに乗り、終点の少し手前の停留所で降りる。
このバスは木更津駅から青堀駅経由で富津公園まで走っているので、帰りは青堀駅で降りず、そのまま木更津駅まで乗ってしまった。
用件自体は特に気が重いというものではなかったけれど、格別心弾むような類のものでもなく、それでも、車窓からとはいえ、久しぶりに田園風景や両側がコンクリートで護岸されていない川などが眺められて、気持ちが和んだ。
それにしても木更津というのは、このあたりの中核都市だろうが、その駅前は人通りも少なく閑散としていた。
地方都市の衰退というのは、日本中に見られることだろうが、やはり、少し寂しい気分になってしまう(タラ坊)。

| 未分類 | 13:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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日翳りの夏に想う、鉄道と戦争

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灼熱の夏、三田製麺の夏。ババンババババン(←花火の音)。
滝汗かくのが分かってても、夏にはなぜか辛いものが食いたくなるぜ(まあ年中食ってますけど)。糖質制限ダイエットをしている(つもりの)私にとって、つけ麺は食ってはいけないものの筆頭なのだが、三田製麺所で毎年夏限定メニューとして展開される「灼熱」だけはやめられない。
特に今年は盛大にやっていて、配布されるスタンプカードがいっぱいになると、画像の1000枚限定「灼熱魂」タオルがもらえるのだった。これ、どっかで粗品とかでもらうようなタオルとはものが違ってて、なんかむしろ、壁とかに貼ったら暑苦しい部屋になっていいかもね |∀・)
通常の1〜3辛ではなく、別格の「極限」を頼むとスタンプを2個もらえるのでカードが効率よく埋まる。ただ、店内の説明によれば、1辛をとんがらし2本分とした場合、極限は6本分に相当するらしく、私はここで断言しておくが、常人に完食は無理だ。
だがこれをしっかり完食しつつ、その真っ赤なつけ汁に割りスープを注いで綺麗に飲み干してこそ男というもの |∀・) やせ我慢をして平然なふりをする、これが武士道ってやつだ(違うわい)。特に最後の日は女性が隣で灼熱(1辛だったけど)を頼み、こっちをチラチラ見てたので、より一層のやせ我慢っぷりだった。馬鹿である。
なお、このイベントは9月末までやってるので、覚悟のある方はどうぞ。

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どうですか、平和って素晴らしいでしょう。不必要に辛いもん食って、景品もらって喜んでる馬鹿でも国賊とか叩かれない今の日本は本当に素晴らしい。
でもこうして無自覚に平和を享受しているだけでいいのか。この平和の土台となって命を投げ出した多くの人たちがいることを忘れてはいけない…と無理やり本題に入っていくのである。

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夏が苦手な私は、8月になると特に具合が悪い。今年の東京は21日連続降雨という異常気象もあって涼しくて助かったが、それでも15日の靖国参拝は諦めた。代わりに、今日、23日の参拝とさせていただいたのだ。
九段下は地下鉄の駅であり、鉄道ネタと絡めることが難しいのだが、しかし、靖国神社に鉄分が全くないわけではない。遊就館で展示されている泰緬鉄道C56蒸気機関車と、大灯籠にはめ込まれたこのレリーフである。
泰緬鉄道はタイとビルマを結ぶ路線として日本陸軍が建設したものだが、徴用により多くの現地人死者を出した「死の鉄道」だ。まさに戦争犯罪である。今、韓国が軍艦島ネタでフィクション映画まで作って日本を叩いているが、ああしたガセネタより、泰緬鉄道のような真実にこそ我々は目を向けなければならない。
一方、このレリーフは第1次世界大戦における装甲列車の戦闘を表現したもの。その他、東郷元帥の勇姿とか爆弾三勇士とか勇ましいモチーフが目白押し。よくGHQが黙ってたなと思ったら、密かに漆喰を塗り込んで隠し、撤去を逃れたのだという。ど左翼だったうちの親父は、靖国は戦争賛美の象徴だと嫌っていた。遊就館にしろこのレリーフにしろ、そういう主張をする人の誤解を呼んでしまう要素は確かに存在する。だが誰も賛美などしていない。みんな国のために純粋な気持ちで戦い、そして亡くなったのだ。戦争に負け、全てを失った当時の日本人が、漆喰を塗ってまでレリーフを守ろうとした気持ちにこそ思いを馳せたい。

賽銭を投げ二礼すると、爽やかな風が吹き抜けた。「あーら、いい風ねえ」と、後から来た人が声をあげた。ああ、俺だけが感じてるわけじゃないんだな。英霊が喜んでくれている。そして私に告げた(ように感じた)。「もう一箇所行くがいい、あっちだ」。

「もう一箇所」。いうまでもあるまい、千鳥ケ淵戦没者墓苑である。実は初めてのお参りだった。そもそも父が「千鳥ヶ淵があれば靖国は要らない」などと言っていたために、ひねくれ者の私は靖国のみに参拝してきたのだ。だがその父が亡くなって5年経ち、もうつまらんわだかまりを捨ててもよかろうと思ったのだ。
それでなくても私の中の千鳥ヶ淵のイメージは汚されていた。去る15日も社民党の福島議員が当地で「死者を地中から蘇らせて安倍首相を止めたい」とか妄言を吐き、戦没者を政治利用したばかりだ。最近のもりかけ問題ではないがイメージ操作は怖い。実際の千鳥ヶ淵はどんなところなんだろうという興味もあったのだ。

門を抜けると、何やら演説が聞こえてきた。ああアジかと瞬間的に耳を塞ぎたくなった自分の先入観が、今となっては恥ずかしい。それは、「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」における、各党国会議員による式辞だった。アジとは違う真摯さが、私を会場へと導いた。

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自民党から共産党まで、その思いに共通するものがあることは嬉しかった。そして同時に、このイベントのマイナーっぷりに悲しみを覚えた。何せ私自身知らなかったのだから。8月23日というのは、スターリンが日本人捕虜の強制労働を命令した日なのだった。ソ連が日ソ中立条約を守ってさえいればシベリア抑留も北方領土問題も起きなかった。ソ連だけではない。条約を平気で破る国が近隣に存在する現実を、日本はぼちぼち認識した方がいい。
画像で熱弁をふるっているのは抑留から生還した佐藤甲子雄氏(94歳)である。生存者の平均年齢は92歳に達しているという。なぜ抑留者が顧みられないかというと、抑留は戦後に起きたことで、直接の戦争犯罪ではないからだという。随分ひどい話ではないか。

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偶然混ぜてもらい献花にも参加したわけだが、報道されたところによると、参列者は(私も含めて)180人。某巨大掲示板のスレも一向に伸びない。
佐藤氏もまた、鉄道建設に従事させられたのだという。そもそも鉄道は物資輸送のために開発されたシステムであり、各国において軍事的性格を濃く帯びてきた。泰緬鉄道などは典型的な例である。
世界には、基本的に鉄道趣味というものは存在しない。下手に撮り鉄れば、軍事機密に引っかかってとっ捕まるからである。日本では戦争に負けた結果、鉄道から軍事的意味が薄れた。軍用線の多くは廃止され、自由に趣味を楽しめるようになった。鉄ヲタたり得ることだけで平和を享受しているのだと、参列しつつ余計なことを考えていた。(イノテツ)

| 鉄道と戦争 | 23:45 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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